自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1061冊目】野田正彰『喪の途上にて』

喪の途上にて―大事故遺族の悲哀の研究

喪の途上にて―大事故遺族の悲哀の研究

家族や恋人など、愛する人を突然失ったら、人はいったいどうなるのか。

そんな重い「問い」を抱えて、何十人もの遺族と接し、対話を続けてきた精神科医だからこそ書けた本が、この一冊。著者は1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故の遺族30人以上から話を聞いたほか、82年の日航機羽田事故、88年の上海での修学旅行生鉄道事故などでも多くの面接を行ってきた。本書はそうした、余人にはなしえない膨大な経験から得られた知恵が詰まった一冊だ。

「日薬」と著者は言う。月日という時間の経過こそが、過酷な喪失の体験を通過するための必須の薬だということだ。そして、その間に遺族はだいたい同じようなプロセスをたどることが多い。そのプロセスを著者は、

(1)ショック
   ↓
(2)死亡という事実の否認
   ↓
(3)怒り
   ↓
(4)回想と抑鬱状態
   ↓
(5)死別の受容

の5段階にまとめている。個人差はもちろんあるが、こうした段階をそれぞれ時間をかけてしっかりと踏んでいくことが、愛する人の死を受け入れ、次の人生に踏み出すためには、どうしても必要なのだという。

こうした「公式」ばかりをあまりに定式化するのも問題かもしれないが、最低限のキホンとして、こうしたプロセスがあるということは誰もが知っておくべきだと思う。知っているというただそれだけでも、周りに近親者を急な事故などで亡くした人がいた場合、過剰な干渉も不自然な排除もせず、適切に「見守る」ということができるからだ。特に印象的だったのは、本書の中で遺族の方自身が、「自分がどの段階にいるのか、今後どうなるのかが分かるだけでも、ずっと気が楽になる」といった意味のことを語っていたこと。時間はかかってもそのうちに抜け出せると知っているだけで、同じ苦しみや悲しみでも、心のもちようがだいぶ違うのだという。

しかし実際には、日航ジャンボ機墜落事故の時など、こうしたプロセスをゆがめるような行為が横行していたのだそうだ。大きな事故であればあるほど、まだ「否認」の段階にいるにもかかわらず補償金の話を持ち出す日航側や弁護士、「今の気分は?」などと無神経にマイクを突き出しカメラを回すマスコミ等々によって、遺族の「喪の過程」はふみにじられる。喪の過程をふみにじられ、ゆがめられることは、時として取り返しのつかないほどの心的外傷を負わせ、死の受容を難しくさせ、場合によっては病的症状があらわれたり、自殺することもある。「喪」に関わるすべての人にとって、上述の5段階は必須知識とすべきであろう。

特に、遺族に流れる時間と日常の時間は異なる、という指摘は印象に残った。「日薬」の言葉にもあらわれているとおり、死の受容にはそれなりに時間がかかる。しかし、事故の補償のプロセスはどうしても「日常業務」として行われざるを得ない。とりわけ、補償の交渉にあたる加害者側やその弁護士は、日常的感覚を抜け出せないまま金銭の話を始めてしまい、そこまでの段階に至っていない遺族と決定的なずれを生んでしまう。

否認の段階を超えていたとしても、遺族が知りたいのは愛する家族の死の意味であり、その原因や状況であるというのに、加害者側は「カネ」の話にすべてを収斂させ、あまつさえ、首を縦に振らない遺族を「ゴネている」「金額を吊り上げようとしている」などと非難する。特に本書で書かれている日航の対応はムチャクチャだ。

本書が刊行されたのは今から19年前、日航ジャンボ機の墜落事故は26年前のことだ。しかし、その後いったい、こうした「喪」に対する理解はどれほど深まったのであろうか。今回の震災でも、被災地に土足で入り込み、家族が流されて数日しか経っていない人にマイクを向ける無神経なリポーターが毎日のようにテレビに映った。彼らが「喪のプロセス」についてまったく知らないことは疑いない。

特に今回の津波災害で気になるのが、遺体のことだ。日航ジャンボ機の墜落事故では、たとえバラバラになり、黒焦げとなった遺体の一部であっても、遺族の方々は家族のものを血眼になって捜したそうだ。著者によると、どんなに悲惨な状態であっても、遺体が見つかった遺族と見つからない遺族では、その後の心のありようが大きく違うのだという。以前読んだ阪神淡路大震災の本でも、身元不明の遺体を野焼きしようとする市職員に食ってかかった被災者がいたというが、なるほどそういうことか、と本書を読んではじめて合点した。たとえ断片であっても、遺体があってはじめて「死の受容」への第一ステップが始まるのだ。そう考えると、津波で流されてしまって遺体が見つからない遺族の方々のお気持ちは、いったいどんなものであろうか。考えるだけで胸が痛くなる。

ちなみに著者は今回の震災について、復興ムードがあまりに早く進む(本書の言い方でいえば、日常の時間で進む)ことに対して、毎日新聞意見を述べておられる。また、自ら被災地を回り、被災者の「心のケア」に従事しているとも聞く。今一番気遣わなければならないのは誰の心なのか、今一度思い出す必要があるのではなかろうか。