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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1038冊目】大室幹雄『囲碁の民話学』

囲碁の民話学 (岩波現代文庫)

囲碁の民話学 (岩波現代文庫)

こういう時こそ、たまにはこういう本がありがたい。日常が変わってしまった今こそ、非日常の世界のありがたさを知る。

さて、この本、囲碁の本と思って手に取るとびっくりする。これは囲碁を通して、そこに込められた古代中国の世界イメージを旅するイマジネーションの一冊なのだ。

古代中国では、大地は方形、天空は円い天蓋のようなカタチで捉えられる。田畑の区画も都市の街区も方眼の組み合わせである。碁盤はそのメタファーとなっているのだと著者はいう。

碁盤が大地なら、碁石は何か。著者によると、碁石の白は「陽」、黒は「陰」。つまり陰陽のメタファーであるという。そして、道教の世界観では世界ははじめ混沌とした未分化の一なる「道」であり、それが陰と陽に分かれることで天地が分化したという。ということは、白黒の碁石の配置は、そのまま世界であるということになる。しかも、碁盤の目は361。これは1年間の日数に相当するのであり(実際にはすべての目が埋まることはないが)、ということは囲碁の対局は、一手一日、一局一年のスパンで行われているということになる。

では、そのような悠長きわまる囲碁の対局をおこなっているのは誰か。まさか人間ではありえない。この点、本書でカタチを変えてすこしづつ登場するストーリーを紹介する。

山奥に迷い込んだ木こりが、洞窟の中で囲碁を打っている老人に出会う。老人がくれた棗(なつめ)の実をくれたので、口に含みつつ観戦し、さて終わったので振り向くと、持ってきた手斧の柄が腐り落ちていた。あわてて山を降りて里に戻ると、すでに数百年が経過し、知っている人は誰もいなかった・・・・・・。

まるで「うらしまたろう」の世界だが、ここには古代中国の世界観が凝縮されている。老人は仙人。童子であることもあり、そもそも老人と童子はたいへん近しい存在であるという。石室は地下の異界へと続く洞窟であり、著者はその先に、「母胎」としての地下世界を読み解いている。棗については、「桃と棗の時間論」で、桃とあわせて取り上げられているが、これは「無時間」のシンボルだ。つまり、ここには空間と時間をそれぞれ無化する独特の世界観が披露されているのであり、そこで仙人=童子たちが遊ぶ世界遊戯こそが「囲碁」なのだ。まったく、(良い意味で)あきれるばかりのイメージの絢爛である。

囲碁にはそれほどなじみがないが、この本はたいへん面白かった。まあ、一種の遊びのようなものなのだろうが、物理や化学とは違った、物語的な世界の成り立ちのようなものを感じさせてくれる。そしてこうした中国的世界観というものは、それこそ「うらしまたろう」の昔話のように、日本的世界観の底にも間違いなく流れているはずなのである。こういう本に、もっと遊べるようになりたい。