自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1032冊目】トニ・モリスン『青い眼がほしい』

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

う〜ん、これは、せつない小説だった。いたたまれない、とはこのことか。

中心になっているのはピコーラという黒人の少女。貧しくすさんだ環境の中で育ち、家庭内では暴力が吹き荒れ、学校に行くといじめられる。そんなピコーラの願いは、「青い眼がほしい」というもの。すべての青い眼の中でも、一番青い眼がほしいと、ピコーラは願う(ちなみに、本書の原題はThe bluest eye)。

白人が黒人を差別することも残酷だ。だが、もっと残酷なのは、黒人であるピコーラ自身が、黒人としての自らをさげすみ、卑しみ、白人になりたいと望んでいるということだろう。どんなに差別され、虐げられていても、黒人である自分自身に誇りをもち、傲然と頭を上げていることができれば、まだそこには救いがある。ところがピコーラは、自分の悲惨な境遇を黒い肌と黒い眼のせいにして、自分を虐げるはずの白人側の視線を自分の内側にもってしまっているのである。

本書のテーマのひとつが黒人差別問題であることは疑いない。しかし、この小説はそれを決して告発調では書かず、むしろ読み手の心にじんわりと染みわたるように、内側から心の襞を描いていく。ピコーラはその後、実父のチョリーに犯されて妊娠し、発狂する。しかしそのチョリーも、単なる「悪」としては描かれない。母親に捨てられて父母を知らずに育ったチョリーの、やはり悲惨で悲痛な境遇を、著者はひとつひとつじっくりと描写していく。だからといって、チョリーがやったことが許されるわけはない。だが、本書はチョリーを裁くこともしない。著者はただピコーラの置かれた境遇と、チョリーの置かれた境遇を、重ね合わせるようにして淡々と描いていくだけだ。

本書はアメリカのノーベル賞作家トニ・モリスンのデビュー作である。他の作品を読んだことがないので、彼女の作家活動の中でこの小説がどんな位置づけになるのか、正味のところは良く分からない。だが、この本が自らも黒人女性であるトニ・モリスン流の静謐なマニフェストであり、せつない宣戦布告であることは感じた。貧しい黒人の少女という「弱い」存在に向けた彼女の視線は、一面ではおそろしいほど冷徹で客観的だが、もう一方では限りないやさしさといつくしみがうかがえる。しかし、さらにその奥には、底知れない深い怒りが静かに燃えているのではないだろうか。