自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1030冊目】秋月龍ミン『公案』

公案―実践的禅入門 (ちくま学芸文庫)

公案―実践的禅入門 (ちくま学芸文庫)

(著者名のミンは「王ヘンに民」)

地震の後、最初に読んだ本。

災害対応業務を解かれた3月12日の明け方、へろへろになって職場から家に帰った。何もする気になれず、テレビの画面に映し出される惨状を茫然と見つめたまま土日が終わった。何も読む気になれず、それでも何かのよりどころを求めて本棚をあさった。小説もノンフィクションも、仕事の本も趣味の本も、何も手に取れない中で、この本だけはなんとか読めそうに思えた。ずいぶん前に買ったまま積ん読していた一冊だった。

1週間かけて、混んだ電車の中で少しずつ、ほとんどすがるようにして読んだ。もちろん何を読んだところで、世界の現実は何も変わらない。だが本書を読み進むうちに、なぜかその「見え方」がじわじわと変わってきていることに気づく。本で公案を読むなど生かじりもいいところだが、それでも「薬効」はあらたかだった。うまくいえないのだが、ひとつひとつの公案とその解説を通過していくうちに、自分の中にわだかまっていたしこりのようなものが、するするとほどけて流れていくのを感じた。不思議な気分だった。

この本では禅の「公案」が三十三、取り上げられている。公案とは禅の修行で用いられる一種の問答のようなもの……なのだが、実は問答に見えて問答ではないというところが、公案の公案たるゆえん。答えがないと言えばない。しかし、あると言えばある。そもそも問いに対して答える、という姿勢そのものが、まず問われる。むしろひとつの問いを徹底してつきつめ、考えていく(商量、という)プロセスにこそ肝があるといってよい。問いを超えて考え、問いそのものになって考え、その果てしない日々の中である日突然「大悟」する。そうなってしまえばもはや公案は無用。いわば公案はハシゴのようなものだと著者はいう。

そして、そもそも公案とはこのように本で読んで知るものではない。そこで本書では、具体的な公案の前に、禅の修行法についての細かな説明が置かれている。そのことで、本書が単なる興味本位の「公案クイズブック」ではなく、本格的な禅の入門書であることがわかる。結跏趺坐の組み方(やってみたが、半跏しかできなかった)、師家の選び方、参禅の心構えなど、細部に及んで具体的ながら、単なるマニュアルではなく、禅の精神がそこにしっかりと映し出されている。師家に厳しくされてようやく修行の始まりであるという記述など、禅の世界以外にも通じるところがありそうだ。

並んでいる公案も、本来はひとつひとつ、師家から与えられたものを日々の作務の中で徹底的に考え抜くというものであって、このように本で読むなど邪道も邪道。本書はそのことを百も承知の上で、あえて参禅への誘いをかけるために三十三の公案を並べているのである。そして、興味を惹くという意味では、その狙いはまさに的中していると言えるだろう。少なくとも私は、悟りは到底得られなかった(当たり前である)が、冒頭に書いたように、少なくともある種の救いは得られたような気がする。

なお高名な禅僧の山田無文老師は、師家のもとに入室するときは「公案になり切って」入るのだと語ったらしい。圧巻。