自治体職員の読書ノート

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【1023冊目】フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』

黒い皮膚・白い仮面 (みすずライブラリー)

黒い皮膚・白い仮面 (みすずライブラリー)

『半分のぼった黄色い太陽』で展開されていたエッジの効いた人種論を読み、その切実さと峻烈さにつながる一冊を選んだ。

本書の著者フランツ・ファノンは、カリブ海に浮かぶフランス領マルチニックに生まれた。リヨン大学で精神医学を修め、わずか27歳で本書を書く。その後はアルジェリア独立戦争に身を投じ、民族解放のスポークスマンとして活躍したが、白血病のため36歳で死亡。本書はしたがって、革命運動家としてのファノン誕生前に書かれたものなのだが、その後の人生を予感させるような激烈なメッセージで満ちている。

本書は黒人の白人に対する闘争の書であり、対話の書でもある。精神分析メソッドを駆使して差別の構造を根こそぎえぐりだし、あくまで理知的なスタイルを崩さないまま、読み手の心の奥底にズバッと届く鮮烈なメッセージをそこに込めていく。その名宛人になっているのは、白人だけではない。むしろ黒人自身、特に「白人に近い」と自認するマルチニックの人々のような、黒人でありながら黒人を差別し、侮蔑する複雑な心理構造の中に、より根深い問題を見出していく。したがって本書は、白人のみならず、同胞である黒人にも向けて書かれた本である。

では、その弾丸のような言葉を列挙してみよう。なお、一部フランス語表記、ルビ等を省略しているので念のため。その叫びにどの程度、われわれの胸は共振できるだろうか? お試しあれ。

白人は彼の白さの中に閉じ込められている。黒人は彼の黒さの中に。(p.32)

黒人にとって運命はただ一つしかない、ということ。その運命とは白人である。(p.33)

黒人には、ただ一つの出口しかなく、それは白人の世界に通じているのだ。(p.73)

「なぜって、おれたちあだな、と彼は言った。意地悪にやらんと、うすのろにされちまうからな。おらあニグロだから、意地悪かうすのろのどっちかなんだ……」(税関吏をしている黒人の言葉。p.83)

私の皮膚の色は、いかなる場合にも欠陥と感じとられてはならない。ヨーロッパ人によって押しつけられた裂け目を受け容れる瞬間から、ニグロはもう休息を知らない。(p.105)

一つの社会は人種差別的であるかないかである(p.108)

ユダヤ人はユダヤ人であることをかぎつけられた時から嫌われ始める。ところが私の場合は一切が新しい相貌を呈する。私にはいかなるチャンスも認められない。私は外部から多元的に決定されているのだ。私は他人が私に抱く《観念》の奴隷ではない。私のみかけの奴隷なのだ。(p.136)

私は典型的なニグロでありたいと思った、−もはやそれは不可能だった。私は白人になりたいと思った、−とても真面目な話とは思えなかった。(p.155)

劣等感なのか? いや、非在感だ。

どこに行こうと、ニグロは依然としてニグロだ、ということだ。(p.189)

ユダヤ人は反ユダヤ主義に対する反応としてみずから反ユダヤ主義者になるのだ。
(p.197)

かつて彼らは白人によって奴隷化された。今は自分を奴隷化する。(彼ら=黒人。P.206)

道徳が存在するためには、黒いもの、暗いもの、ニグロ的なものが意識から消滅しなければならぬ。そこでニグロは絶えず己れ自身のイメージと闘うことになる。(p.208)

ニグロとは比較である。(p.227)

ニグロは主人の態度をとることを許された奴隷だ。(p.237)

ニグロは自由の値を知らない、なぜなら、自由のために闘ったことがないからである。(p.238)

白い世界はない。白い倫理はない。ましてや白い知性はない。(p.247)

ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない。(p.249)