自治体職員の読書ノート

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【1017冊目】チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『半分のぼった黄色い太陽』

半分のぼった黄色い太陽

半分のぼった黄色い太陽

桂読。なかなかアフリカから出られない。でもそのおかげで、こんなとんでもない傑作と出会えたのだから、本との出会いというものはわからない。

本書の舞台は1960年代のナイジェリア。1967年に独立を宣言した「ビアフラ共和国」をめぐる戦争の時代である。本書は第1部と第3部が戦争前にあたる60年代前半、第2部と第4部が戦争中の60年代後半を描く(時間軸でいうと、第1部→第3部→第2部→第4部)。したがって、第2部は時間的には第3部の後になるわけだが、第2部では、第3部で起こる「事件」については周到に伏せられている。そのため、読み手は第2部を経て第3部に進む(時間的には「戻る」)と、そこに伏せられていた事実にあっと驚かされるようになっている。

この手の小説、得てして戦争以外の部分が退屈になりがちなのだが、本書は違う。むしろ「日常」を描いた第1部と第3部が、ムチャクチャ面白い。目が離せない。知識人のオデニボとその妻のオランナ、その妹のカイネネと白人のリチャード、オデニボの使用人ウグウ。この5人が多元的な「軸」となって自在に物語を動かしていく。2組のカップルの恋愛模様、オデニボの主宰する知識人のサロン、ウグウを通じて描かれる貧しい人々とオデニボら中産階級の落差。入り組んだ人間関係が徐々に複雑な模様を描き、それがそのまま戦乱の中に叩き込まれる。その大胆さと繊細さには脱帽である。

そう、第1部と第3部が周到に作られているからこそ、第2部と第4部の「破壊」が効いてくる。平穏な日々を徐々に塗りつぶし、押し潰す戦争と飢餓。突如訪れる極限状態の中で、生活というものがいかに簡単に壊れ、人間というものがいかに簡単に変わることか。本書は戦争を書いた本であると同時に、陳腐な言い方ではあるが、戦争の中の人間そのものを真正面から書いた作品でもある。特に自信たっぷりだった知識人オデニボのやつれっぷりと、力強くしたたかに生きるオランナやカイネネら女性陣のコントラストは皮肉である。女性は強い。

それにしてもびっくりしたのだが、この作品を書いた時、著者はまだ20代だったという。生まれる前の戦争を主題に、ここまで多重立体的に物語を組み立て、500ページを一気に読ませる才能。末恐ろしい。