自治体職員の読書ノート

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【965・966冊目】山口二郎『戦後政治の崩壊』『政権交代論』

政権交代論 (岩波新書)

政権交代論 (岩波新書)

日本の戦後政治史を通観し、そこに流れている文脈を読み取れば、その先に現在の状況が見え、さらに未来が見えてくる。

もう1か月近く経ってしまったが、7月11日の参院選は、ひどかった。前にも書いたが、選挙で「選ばれる」のは政治家だが、「試される」のは国民なのだ。今のねじれ国会の、無節操で一貫性のないありさまは、日本国民の度重なる自己決定の結果である。そのツケを払うのもまた、日本国民。当たり前の話である。

のっけから脱線しているようで、実はしていない。今回読んだ2冊は、戦後の日本政治史を、前者はデモクラシー、後者は政権交代にそれぞれ焦点を当てつつ眺めたもので、そこに主に米英の政治状況を重ね合わせることで、日本の政治の問題点を多面的にあぶりだす内容。『戦後政治の崩壊』が2004年、『政権交代論』は2009年3月の刊行であるから、自民党政治の流れを追った2冊ということもできるだろう。

戦後日本の政治は、非力な野党を尻目に、地方や特定業界などの部分利益を最大化することを通じて富を分配することで成り立ってきた。割りを食うはずの都市住民や労働者たちも、高度成長下で全体のパイが大きくなる中、それほどの不満を持たずにきた。不満をもったとしても、野党の社会党ソ連寄り、社会主義陣営寄りをあからさまに出し、野党の位置にみずから安住していた。冷戦構造も自民党を後押しし、その支配を外側から支えてきた。

それが崩れたのが、皮肉にも、自らの陣営が勝利したことによる冷戦構造の崩壊であり、高度成長の終焉による利益誘導型政治の行き詰まりだった。実際、自民党が初めて下野し、細川連立政権が成立した時期は、こうした出来事とほぼ符合する。本来ならここで自民党は野党となり、本格的な政権交代が起きているべきだった。ところが社会党を中心とした当時の野党はこの役割を果たすことができず、かえって自社さ連立による自民党の復活を許してしまう。小選挙区制の導入、民主党の結成などは、政権交代が起きない日本政治の行き詰まり感とウラハラだった。

こうした流れをみていくと、現代の民主党政権の「意味」が見えてくる。実は、政治の鍵を握っているのは「与党になりうる野党」なのだ。野党の間に政策形成能力を高め、国民に対して提示すべきビジョンを固める。そのことで与党もまた危機感を感じ、結束する。いったん政権交代が起きた以上、仮に自民党が与党に返り咲いたとしても、これまでと同じ自民党ではいられない。官僚も、政権交代の可能性を織り込んだ上で政策立案にあたることになるし、これまでのような族議員と結託してのやりたい放題はできなくなる。民主党が、というより、政権交代という出来事そのものが、日本の政治を決定的に変えるチャンスを含んでいる。その効果は、与党にも野党にもボディーブローのように効いてくる。

本書は他にも小泉政権の問題点、ポピュリズムナショナリズムのあやうさなどについても存分に語っている。著者は自ら「社会民主主義系」と称する立場であるが、それだけに政権をうかがうことすらしなかった当時の社会党に対する批判は厳しい。

確かに、社会党がもっと現実路線に立ち、西欧型の社会民主主義的な国家デザインを打ち出して政権交代を本気で狙っていたら、日本の政治はとっくに変わっていたかもしれない。しかし実際には、彼らは理想論を唱えるばかりの万年野党に甘んじることで、間接的に自民党の一党支配を助けてしまっていたのだが……。

もっとも、仮に社会党が現実的な国家ビジョンを掲げて選挙を戦ったとしても、国民がきちんとそれに反応できるかどうかは別問題だろう。著者は「市民」としての国民に一定の期待を寄せているように思われるが、今回の選挙の結果からは、残念ながら日本人の「市民感覚」をうかがうことはできなかった。見えたのは、安直なポピュリズムとムード的な投票行動ばかり。だから「みんなの党」のような、時代錯誤の新自由主義を標榜する政党が幅を利かせるような事態に陥ったのである。