自治体職員の読書ノート

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【963冊目】網野善彦『歴史を考えるヒント』

歴史を考えるヒント (新潮選書)

歴史を考えるヒント (新潮選書)

歴史は「ことば」によって語られ、記録される。とすれば、「ことば」を捉えなおすことは、歴史そのものを捉えなおすことにつながる。

「日本」という国号は中華主義だ、と言われてもピンとこない方、「百姓」と言えば農民のことだと信じ込んでいる方は、とりあえず本書をお読みになることをお勧めする。

網野歴史学がいま、専門家のなかでどういう評価を受けているのか、よくは知らない。中にはかなり手厳しく批判される方もいらっしゃる。サヨク的な歴史観だとか、自虐史観だとか言われることもあるようだ。

しかし、日本人として自分の国について知っておくべきことのいくつかが、網野氏の著作には書かれている。日本という国号の由来のこと、商人や海民としての日本人像のこと、「ケガレ」と「キヨメ」をめぐって中世に起きた逆転のことを知らないなら、一度は網野氏の本を読むことを勧めたい。

本書は一般向けに行われた講座の内容をもとにつくられており、やわらかな語り口で、非常にわかりやすく著者の考えや研究の成果が解説されている。分量はコンパクトだが、国号論から百姓という名称のこと、被差別部落のこと、さらには非常に進んでいた商業活動のことなど、著者のエッセンスはおおよそ盛り込まれていると思われ、網野歴史学への入口にふさわしい。しかも、われわれが普段から使っている「ことば」を切り口に、現代における意味とかつての意味を比較しつつ歴史の深層に迫っていくというアプローチの仕方をとっており、その点もたいへんわかりやすく、面白い。「自由」、「自然」、「支配」などがかつてはどういう意味で使われていたか、ご存知だろうか(私は本書を読むまで知らなかった……)。

私自身は、これまで読んだ著作とカブっている部分も多かったため、なかば復習のつもりで読んだ。その中で特におもしろく感じたのは商業活動についてのくだり。これは著者の推測を交えて書かれている部分なのだが、かつての取引は基本的に「市場」(市庭)で行われており、この場所は世俗を超えた聖なる場所であり、人間の世界と神の世界の境界にあるとされていた。そこでは世俗のつながりは断ち切られ、すべての物は、いわば「無縁」の状態に置かれることになったという。

中世頃までの日本では、物にはその持ち主の心が込められており、たとえば物を贈るということは、自分の心を一緒に贈るということであった(今でも思い当たるフシはなくもない)。そうした観念のもとで行われるのは、商業取引ではなくあくまで「贈与」であり「互酬」にすぎなかった。

ところが、それが無縁の場である市場に持ち込まれることで、物にくっついていた「持主の心」が切断される。いわば、物自体も「無縁」の状態になる。そうなってはじめて、物と物は「商品」として交換でき、あるいは売買の対象になった。それは言い換えれば、「人の力を超えた世界に物を投入することで、人は物を『神』の手に委ねてしまった」ともいえる。すなわち、商業取引の起源にあったのは世俗の世界から切り離された聖なる行為であり、そのための無縁の場であったというのである。

繰り返すがこれは、著者も断っているとおり仮定にすぎない。しかしずいぶん意味深な仮定ではある。中沢新一の「カイエ・ソバージュ」あたりに似たようなことが書いてあった気がするが……。いずれにせよ、興味深い。