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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【961冊目】冲方丁『天地明察』

人類・人間・人生

天地明察

天地明察

日本独自の暦をはじめてつくった男の、知られざる物語を生き生きと描く。ふだん当たり前のように使っている「暦」というモノに、こんな物語がかくれていたことに驚いた。

あ、今の日本で使われている「暦」と「日本独自の暦」は当然ながら別モノですからね。念のため。

さて、「暦」というテーマは、われわれの社会や経済、生活すべてを律するきわめて重要なものではあるが、小説の主題としては、はっきりいって「地味」。暦の作成に使われるのは、地道な観測と、複雑な数式の組み合わせばかり。切った張ったもなければ、ミステリーもサスペンスもなく、主人公も、まあこういってはなんだが算術オタクの冴えない青年だ。

ところがなんと、そんな暦の物語が、なんと吉川英治文学新人賞本屋大賞を取って大ベストセラー。直木賞候補にまでなってしまった。実は本書、刊行当時に「渋川春海を書いた小説」が出たというのでびっくりして、早速読もうと思っていたらあれよあれよという間にベストセラー入りしてしまい、なんだか読むタイミングを失ってしまった一冊なのだ。

ちなみに、なぜ渋川春海に興味があったかというと、その前に「新暦」(今使われている暦。太陽をベースに組み立てられた暦)と「旧暦」(江戸時代まで使われていた、月の動きをベースに組み立てられた暦)の違いにちょっと興味があって、たまたま読んでいた本に名前が出てきたから。

それまで800年以上も、中国の、しかも古い暦が日本でそのまま使われていたのも驚きなら、江戸時代になって初めて日本で暦が作られたというのも、その本で初めて知って驚いた。なにしろ冒頭に書いたとおり、暦がなければ江戸時代でも現代でも、社会も経済も日々の生活も回らない。なのにそれを日本で初めて作った渋川春海という人物がほとんど無名とは、いったいどういうことなのか。

本書の末尾に挙げられている参考文献を見ても、これまでいかに渋川春海のことが知られていなかったかよく分かる。なにしろ彼について書かれた本がほとんどないのである。なんということだ、とショックを受けていた矢先、発売された本書が当の人物を主人公にした本だというのだから、それはびっくりしたものだ。しかも著者の「冲方丁」って……誰?

ということで、いろんな意味で「!」や「?」がついた状態で手に取ったのだが、これがとんでもなく面白くてまたまたびっくり。暦というテーマを選んだこともすごいが、それをここまで「読ませる」仕立てにしたところがすばらしい。

暦だけでは単調になるところを、囲碁や算術という要素をタテヨコに織り込んで読者を惹き付け(特に冒頭の「算額絵馬」のヒキは良かった。あのヒキで最後まで目が離せなくなった)、個性的な脇役がどんどん物語を盛り上げ(個人的には、「北極出地」の建部と伊藤がよかった)、そして登場したすべての要素が、ラストの「大和暦の採用」に向けて見事に収斂していく。このレベルの小説を作ってしまうと、今後この著者は大変だろうな……といらん心配をしたくなるほどに、すべての鍵と鍵穴がぴたりとはまった、奇跡的な化合物のような小説だ。

しかしまあ、渋川春海のみならず関孝和保科正之などの存在が、本書が売れたおかげで今の日本に知れ渡ったというのは、めでたいことだ。こういう本が売れる日本の読書界というもの、まだまだ捨てたものではないですね。