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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【952・953冊目】森達也『いのちの食べかた』・鎌田慧『ドキュメント屠場』

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

残酷だろうか。見たくないだろうか。そうかもしれない。しかし、目を背けることは、許されない。

中学の頃の担任で、豚肉が食べられないという方がおられた。なんでも子供のころ、豚の屠殺を見学したことがあり、それ以来どうしても食べられなくなってしまったらしい。当時はそんな担任のことを笑っていたが、今考えてみると、笑った自分たちが情けない。なぜ笑う前に、自分たちも屠場を見学したい、と言いださなかったのだろうか。

そもそも、牛や豚を殺して解体する「屠場」の現場をくわしく知っているという方は、いったいどれくらいおられるものなのだろうか。地域によっては(中学校の担任教師のように)学校で見学に行く機会があるところもあるだろうが、まったくそうした機会がない、という方も多いのではないか(私もその一人)。

では、知らないなら知らないままでよいだろうか。私はそうは思わない。自分が食べているものがどのように「作られて」いるかを、知らないままでよいわけはない。しかし、屠場の現場というもの、確かに学校などで見学するところもあるだろうが、そういう機会がない人にとっては、ほとんど目にすることがないまま来れてしまう。特にマスメディア。魚をさばく現場や卸売の映像などは放映されても、牛肉や豚肉の解体シーンやせりの現場が放映されているところを、私はテレビで見た記憶がない。

かつて日本では、食肉は禁忌だった。牛や豚の肉そのものに「穢れ」の観念が付いて回り、動物を殺してその肉を解体する人々にもまた、穢れの観念がかぶせられた。さらに厄介なのは、それに被差別部落への差別問題が絡んでくることだ。食肉への穢れ、獣肉への穢れが、それを扱う人々への「穢れ」のイメージにつながる。明治時代になって公然と食肉が行われるようになってからも、屠場で働く人々への差別は続いた。言い換えれば、屠場で働く人々は、労働者としての労働運動と、部落解放運動に絡む解放運動を、ダブルで戦わざるを得なくなった。

そうした問題を改善するためにたくさんの人々が闘ってきたわけだが、なかなか抜本的な解決には至っていない。そもそもそうした問題自体が、一般国民の目からは巧妙に隠されている。だから人は、たとえば太地町のイルカ漁を残酷だと非難しても、それと牛や豚の屠殺を重ね合わせて考えたりはしない。そんな中で忘れられているのは、人間は、動物にせよ植物にせよ、ほかの生命を奪わなければ生きていけないという、あまりにも当たり前の現実。そして、平気で残飯を捨て、賞味期限切れの食べ物が大量に捨てられる。

何かが間違っている。少なくとも、知るべきことが知られていないために、考えるための大切なパーツが抜け落ちていることは確かだと思う。では、知るためにはどうしたらよいか。本を読むのがひとつ。入口としては、ここで挙げた2冊をまずはお勧めしたい。もうひとつは、観ることだ。たとえば、次の動画などどうだろうか。私見だが、たとえそれによって牛肉や豚肉が食べられなくなるかもしれないとしても、われわれはこうしたものを見るべきだと思う。