自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【945冊目】フョードル・ドストエフスキー『白痴』

白痴 (上巻) (新潮文庫)

白痴 (上巻) (新潮文庫)

白痴 (下巻) (新潮文庫)

白痴 (下巻) (新潮文庫)

善良すぎることは、かえって罪なのか。善良無垢なムイシュキン公爵を軸に展開する、恋愛と葛藤の濃厚ドラマ

『白痴』というタイトル、考えてみるとけっこうきわどいものがあるが、本書で『白痴』と呼ばれるムイシュキンは、文字通りの知的障害というよりは、単に世間知らずの「おばかさん」として「白痴」呼ばわりされている。幼いころからてんかんの療養のためスイスに滞在していたためか、たしかに公爵はとんでもなくピュアで世間ずれしていない存在。その公爵が、ドストエフスキー一流の濃厚きわまりないロシア的人物のただなかに帰ってくるのだから、これはタダで済むわけはない。

ドストエフスキーを読むのは久しぶり。特に、岡潔が薦めていた本書は今回が初読(大学時代に読もうとして、上巻の半分くらいで挫折した)。今回はどうにかこうにか最後まで読めたものの、岡潔小林秀雄が対談で語っていた内容に引っ張られ過ぎて、素直に小説の世界に入れなかった気がする。

しかし、いったん小説のペースに乗ってくるとやめられなくなるのがドストエフスキーの吸引力。とりわけ、いずれ劣らぬ強烈なキャラたちの怒涛のような「語り」にはまり込むと、あまりの迫力で目が離せなくなる。個人的には、肺病やみの皮肉家、イポリートによる長大な「弁明」にはまった。特に「死を前にした人間が無差別殺人をしようとした時に、人はそれを止められるか」という問いには驚いた。まるで昨今の通り魔殺人の論理を言い当てているみたいだった。

ストーリーの軸は、善良無垢なムイシュキン、対照的に粗野でダークなロゴージン(まるでムイシュキンの陰画のような人物だ)、そしてトラウマを抱えつつ誇り高く育った美女ナスターシャの恋愛模様。さらに活発明朗な美女アグラーヤもムイシュキンに恋し、物語に華を添える。

そのため、本書はドストエフスキーの恋愛小説であると語られることが多い。確かに筋書きをみるとそうなのだが、実際に読んでいる間は、私はこれが恋愛小説であるとはあまり感じられなかった。恋愛をメインテーマにするには、本書の内容はあまりにも個々の人々の心の奥深くに切り込みすぎているように思えたからだ。中心に善良無垢なムイシュキンがいることで、かえって周りの人々の欲望やエゴイズムが浮かび上がってくる。

また、本書で皮肉なのは、善人であるからといって、ムイシュキンが必ずしも大きな善行を果たしているというわけではないという点だ。むしろ善人であるがゆえに、かえって彼はナスターシャを遠ざけてしまい、それがナスターシャの死という悲劇的なクライマックスの遠因となってしまっている。

まあ、一回通読した程度で、この複雑多重な物語を読み解けるとは思っていない。他の登場人物にしても、ガーニャ、レーベジェフ、リザヴェータ夫人、イヴォルギン将軍など、いずれも一筋縄ではいかない奥行きをもった連中揃い。その連中が思いのたけを火を吹くようにしゃべりまくるのだから、こちらはとにかく圧倒されてばかりなのだ。恋愛という小説のメインストーリーが自分の中でややぼやけてしまったのも、その影響かもしれない。もう一度、今度はじっくり味わうようにして、読みなおしてみたい一冊。