自治体職員の読書ノート

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【944冊目】津本陽『深重の海』

深重の海 (新潮文庫)

深重の海 (新潮文庫)

明治時代、古式捕鯨に命を賭ける人々の、壮絶な物語。捕鯨が「文化」などという生易しいものではなく、まさに生きる糧に他ならなかったことが、千万の理屈より腑に落ちる。

時代小説で有名な著者の、直木賞受賞作。以前、この人の『下天は夢か』を読んだ時には、あまりピンとこなかったのだが、本書で津本陽という作家に対する印象はガラリと変わった。

本書に登場する人々は、貧しい集落で暮らす名もなき人々ばかり。彼らの生活は、ひとえに「鯨が獲れるかどうか」にかかっている。獲れなければ、人々は飢えるしかなく、生活のために娘を遊郭に売り飛ばさざるをえない。彼らにとっての捕鯨とは、「文化」などという洒落た言葉では到底表現できない、まさに生存をかけた闘いそのものなのだ。

そして鯨を獲りに海に出ること自体もまた、とてつもないリスクを背負った決死の船出なのだ。何しろ「銛と網」だけで、小山のような鯨と渡り合うのである。手負いの鯨がひと暴れすれば、小さな舟など木端微塵。しかも天候が崩れれば波に呑まれてドザエモン。深追いすれば黒潮にはまって海上を何日もさ迷う羽目になる。じっさい、本書を読んで一番驚いたのは、捕鯨でどれほど簡単に人がバタバタ死ぬか、ということだった。しかも当然、捕鯨に出るのはそれぞれ一家を支える男衆ばかり。それを失うことは即、一家が路頭に迷うことを意味する。

そんな過酷な状況下で捕鯨に命を賭ける人々の理屈抜きの迫力が、真正面からこちらの胸を打つ。メルヴィルの『白鯨』に比べると、さすがに小説としての深みや奥行きでは一歩も二歩も譲るが、捕鯨をめぐるリアリズムで見ればまったく遜色を感じない。ちなみに本書の舞台は、なんとあの隠し撮りドキュメンタリー『ザ・コーヴ』の舞台でもある和歌山県太地町。件の映画を観ていないので比較はできないが、仄聞する限りでは、この小説と「勝負」できるだけのシロモノとはとても思えない。『ザ・コーヴ』をご覧になった方がおられましたら、ぜひ併せてこの小説を読んで、感想を教えてください。

捕鯨をめぐる論争になかなか決着がつかないのは、おそらくこの問題が根本的に「感情」の問題だからではないか、と思うことがある。「理屈と膏薬はどこへでもつく」というコトワザがあるが、反捕鯨国側の言い分もまた、感情的なレベルでの「反対ありき」がまずあって、その上に理屈が乗っかっている。だから、その「上モノ」の理屈にいくら反論しても、反捕鯨運動は決して収まることはない。

岡潔小林秀雄との対談で「知がいかに説いたって、情は承知しない」「知や意によって情を強制できない」と述べているが、捕鯨論争もまさしく情の問題が知の皮をかぶっているという状況になっている。日本が本気で捕鯨賛成を訴えかけたいのなら、「情」の側面からメッセージを発して、相手の「情」を直接ゆさぶることを考えるべきであろう。その意味で、本書のような「捕鯨する側の情」を渾身の力で描いた小説が今ほとんど知られていないのは残念だ。日本映画界は総力を挙げて本書を映画化し、カンヌやハリウッドに殴りこみをかけるべきである。