自治体職員の読書ノート

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【940冊目】石牟礼道子『苦海浄土』

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

事実を書く本はたくさんあるが、真実にまで至る本はすくない。本書は水俣病の実態を通して、文明と自然、人間をめぐるひとつの「真実」をえぐりだす一冊。

水俣病をめぐる、告発モノのルポルタージュ。そういう印象をもっていた。読んでみて驚いた。これは単なるルポルタージュとかノンフィクションではない……というか、そういうジャンルを明らかに超越している。ノンフィクションとは文字通り「事実」を書くものだとすれば、本書は確かに一種のノンフィクションだ。しかし、本書に書かれているのは単なる「事実」にとどまらず、著者自身がその渦中にあって肌身で感じ取った、水俣病の「真実」。その重み、そのざらつき、その質感が、詩人であり歌人でもある著者ならではの、時に美しく光り、時に不気味にうごめくことばによって質感を与えられ、本書の底にずっしりと横たわっている。

とりわけ「聞き書」という手法が、本書に異様な迫力と真実味を与えている。水俣病に突然見舞われた人々の、絞り出すような痛切なコトバ。あるいは、手足がねじ曲がり、口からは涎を垂らし、満足に話すこともできなくなった夫や妻、子供や親を看護し続ける人々の、訥々とした熊本弁の語り。そこに映し出される水俣の日々は、どんな客観的なデータや事実よりもダイレクトに、水俣病のむごさを読み手に突きつけてくる。人が人の声で語りかけるものであるがゆえに、人はそこから目を背けることができない。

しかもこの「聞き書」は、著者が患者たちから聴き取った内容をそのまま書いているわけではないという。むしろ著者は、患者やその家族に向き合い、目を覗き、言葉を交わすなかで著者自身の心が感じ取った、彼らの心の声そのものを綴っているらしいのだ。とすれば、著者がそこで果たしている役割は、インタビュアーというよりもむしろ巫女、あるいはシャーマンに近い。著者は客観的な資料をふんだんに駆使しつつ、基本的には、あくまで著者自身における「水俣体験」を書いたのである。

もともと著者は、文芸の世界にもわずかに関わってはいたものの、基本的には水俣に住む一人の主婦に過ぎなかった。それが市民団体のリーダーになってしまったことから、本書も公害告発の書として有名になってしまったが、あくまで著者自身は大所高所から水俣病を論じたのではなく、地域に住む一介の主婦の目線から、実体験としての水俣を綴ったのだ。

その意味で、本書の解説で渡辺京二氏が指摘するように、本書はあくまで石牟礼道子という作家による「文学」であり「私小説」なのだ。あるいは著者自身があとがきで書くように「誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のようなもの」なのだ。私小説の「私」が「水俣病」というすさまじい文明の暴虐に接したことから、この稀有の文学が生まれたのだ。だからこそ、本書は単なる「悪者探し」「大企業や国の告発」にとどまらず、その先にある真実の深みと輝きを捉えることができたのだと思う。もっとも、水俣病を今一度振り返るためにも、本書は必読文献のひとつ。特措法の制定がつい昨年だったことからもわかるように、この「犯罪」の後始末は、なんと発生から半世紀以上が経つというのに、いまだに終わっていないのだから。