自治体職員の読書ノート

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【926冊目】松本健一『隠岐島コミューン伝説』

隠岐島コミューン伝説

隠岐島コミューン伝説

慶応から明治への「変わり目」、明治元年の年に、隠岐の地ではわずか81日間ながら、藩にも国にも支配されない、島民による自治が行われていた。本書は、知られざるその歴史に光を当てることで、日本の近代を逆照射する一冊。

ひとつのキッカケは、異国船に対応し、海防を強化するために導入された「農兵制度」であった。出費を抑えつつ沿岸防衛を補強するために、農民に武器を与え、訓練を施して即席の兵士とするという制度である。このとき、隠岐の島後だけで480人の農兵が選ばれ、松江藩の下で訓練が施されることとなった。ところがその後、実際に外国と通商がはじまり、戦争の危険はなさそうだとわかってくると、藩は「武芸差留」を布告。一転して武装解除を命じたのだ。

おさまらないのは農民たちである。藩の求めに応じて、国家(と言っても当時の認識では、藩・島という「地域」)を守ろうと立ち上がったにもかかわらず、危機がすぎれば「農民の分際で何ができるか」とほとんど一揆予備軍扱いされたのだ。言い換えれば、この「農兵制度」は、それまで国家のことなど「われ関せず」だった農民たちに、ある種のパトリオティズム(愛国/愛郷主義)を目覚めさせてしまったように思われる。そして、「与えてすぐにそれを奪う」という拙劣なやり方をとったことで、かえって愛国心は燃え上がることになった。

島民は藩に「文武館」の設立嘆願書を提出する。これは隠岐に海防と訓練のための拠点をつくるべきとしたもので、同時に島民にとっては、燃え上がった愛国意識の象徴的存在になったようである。実は、隠岐はもともと、後鳥羽帝や後醍醐帝が配流されたこともあり、勤王の風が強かった。一方、松江藩は当時、幕府側の立場に立っており、朝廷側に親近感をもつ隠岐の島民とは当時の状況では対立関係にあったという。そんな中、尊王攘夷の拠点になりかねない文武館など、藩が認めるわけもない。その後も再度・再々度の歎願、強硬派と穏便派の争いがあったものの、つき始めてしまった勢いは止まることなく、ついには郡代を追放し、島民自治を開始するのである。

ところが冒頭に書いたように、この「コミューン」はわずか81日しか持たなかった。何より島民によってショックだったと思われるのは、幕府側だった松江藩に対して、朝廷側と思われた新政府が隠岐コミューンの鎮圧を命じたことであろう。尊王攘夷と愛国に燃え上がっていた島民は、これによっていわば梯子を外されたかたちになってしまったのだ。結局、松江藩の攻撃によって隠岐の自治政府は解体。その存在は「幻」のように、歴史の波間に消えてしまった。その後、鬱屈したエネルギーは当時の廃仏棄釈運動に向かい、隠岐では寺社仏閣が根こそぎ破壊されることになる。

本書は単に隠岐ローカルの歴史としても面白いが、それにとどまらず、当時の日本全体をある種象徴する何かがあるような気がする。幕府側と朝廷側に分かれての壮絶な内乱、封建階級の解体による農民の意識変革、そして日本の宗教を大きく変えた廃仏棄釈。おそらく、当時、日本全体を大きく吹き荒れた嵐が、この隠岐の地ではちょっと変わった吹き方をしたのだろう。その結果として、国家から独立した自治政府という、近世から近代にかけての日本史上では稀なる存在が、まさしく幻のように現れたのではなかろうか。