自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【906・907冊目】アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』『第三の嘘』

《警告》ネタバレがあります。未読の方はご注意を。

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

誰が書いてたか忘れたが、アゴタ・クリストフの三部作『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』は、『悪童日記』だけ読むか、三冊全部読むか、だそうだ。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

それを真に受けたわけじゃないのだが、以前『悪童日記』だけ読んで、あまりの傑作ぶりに仰天。ほかに読みたい本がいろいろあって、残りの二作はおあずけになっていたのだが、ずーっと心の中ではひっかかっていた。そのうち今度は『悪童日記』を読んでからの間が空き過ぎてしまい、続きを手に取るキッカケを失っていたのだが、どうしても気になるので、『悪童日記』を読み直し、その勢いで三冊通読。

で、その感想だが……いやはや、してやられた。こういう仕掛けになっていたとは。よくある「続き物」の小説で二部作や三部作はいくらでもあるが、「こういう」三部作には初めてお目にかかった。

『ふたりの証拠』は、『悪童日記』に登場した二人のうちリュカが青年となって登場する。ちなみに『悪童日記』では双子は常に「ぼくら」という一人称複数でのみ綴られ、その名前は明らかになっていなかったので、双子の名前が現れるのは二冊目になってから、ということになる。さらに、双子の片割れであるクラウスも後ろの方になって登場するが、それはリュカについて綴られた前半の時代よりずっと後の時期の話として、である。したがって二冊目はほとんどが、リュカの青年期を描いたもの。中でも印象的なのがマティアスという子供の存在だ。『悪童日記』の主役の双子といい、このマティアスと言い、著者の描く子供の「痛切さ」には独特のものがある。それは、ひどく乾いた簡潔な文体で綴られるだけに、余計に読み手の心に突き刺さる。

そして『第三の嘘』である。ここで明かされるのが、実は『悪童日記』の内容は「つくりごと」にすぎないという驚愕の事実である。しかもその「つくりごと」を書いたのは、クラウスと名乗っているが、実はリュカ。だいたい、この小説は常に「私」という一人称で語られるのだが、その「私」がクラウスかリュカなのかはなかなか明示されないし、明示されてもそれが「嘘」だったりするのだ。

しかも、この小説自体も、『第三の嘘』というタイトルどおり、「嘘」なのかもしれない。つまり、この三部作は全体として「何がホントかわからない」という仕掛けになっており、小説内での現実と虚構が入り混じり、一冊が別の一冊の事実性を否定するというかたちで組み合わさっているのだ。私はこの『第三の嘘』を読んでいて、何が本当なのか、小説の中で本当は何が起こっているのかが途中からさっぱり読み取れなくなってしまった。いや、後から考えてみると全体の構造らしきものは何となく見えてこないでもないのだが、読んでいる最中はほとんど五里霧中。何が「事実」か、何が「正しい」のか、その拠りどころを失って、著者の誘導に従って霧のなかを歩いているようだ。

というわけで、この三部作は「一冊だけか、三冊読むか」の二択である、という誰かの言葉は、正しかったらしい。何しろ、どちらを選ぶかで、一冊目の「意味」がまったく違ってくるのだから。ただ、小説としての魅力ということでいうと、個人的には『悪童日記』の孤独な魂をナイフで削るような文章が捨てがたい。さて、あなたはどちらを選びますか?