自治体職員の読書ノート

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【868冊目】ジョン・グレイ『わらの犬』

わらの犬――地球に君臨する人間

わらの犬――地球に君臨する人間

ギョッとする表紙の写真。「ドーキンス利己的な遺伝子』以来の衝撃」というJ・G・バラードの言葉の書かれたオビ。著者のことも本書の内容もまったく知らないのに、近所の本屋で本書を見つけ、吸い込まれるようにして買ってしまった。裏表紙の解説で、タイトルの「わらの犬」が『老子』に由来すると書いてあったのも、理由のひとつ。ちなみにこの「わらの犬」とは、古代中国の祭祀で使われた捧げ物。祭りが済んだ後は踏みつけられて捨てられたらしく、老子はこれをもとに「天地自然は非情であって、あらゆるものをわらの犬のようにあつかう」と書いた。そして、著者が本書で「わらの犬」として描いたのは、もちろん、われわれ人間のこと。

著者によるとわれわれは、人間が動物とは「別格」の特別な存在であり、常に「進歩」し、世界を改変し、地球の王者として繁栄する、ということを、無意識のうちに信じ込み、前提としている。こうした思考の元型はギリシア哲学、とりわけソクラテスプラトンに発していた。さらに普遍的な善を唱え、人間を神の似姿としたキリスト教が拍車をかけ、近代になるとデカルトやカントの啓蒙思想がこれを受け継ぎ、それは紆余曲折はありながらも、現代のヒューマニズムにまでつながっている。一方、他の場面では宗教と対立することの多い科学も、世間一般からは、本書でいう「進歩信仰」の後押しをしているものとみなされてきた。科学者自身がそう考えているかは別として。

地球環境がいかに危機的な状況になっても、人間同士で目を覆わんばかりの虐殺や残虐行為があっても、科学の進歩がかえって化学物質汚染などの弊害をもたらすことになっても、われわれの多くはどこかで「何とかなる」と思っている。人類は進歩しており、いずれこうした問題も克服される、と。本書は、こうした漫然とした「進歩信仰」を徹底的に批判し、否定する。それだけではない。人間は(ダーウィンが進化論によって明らかにしたとおり)動物となんら変わらない存在であり、人類が救済されるなどということは考えられず、地球はいずれ人間を、「わらの犬」のように捨てることを躊躇しないと、著者は言い切るのである。

自由意志は幻想で、道徳はかえって害をもたらし、歴史は進歩ではなく循環で、人生には目標など存在しない。なんというか、あらゆる自己啓発書に砂をかけるような内容のオンパレードである。しかし、実はわれわれ東洋人にとって、こうした考え方は決してなじみのないものではないはずなのだ。老子荘子の言葉は本書の内容をはるか昔に言い当てている。仏教思想も然り。老荘や仏教については、著者も本書のなかでその内容をふんだんに引用し、自説の補強としている。本書は欧米では「問題作」として取り上げられることが多かったらしいが、東洋思想の系譜から言えば、当たり前のことを確認し、敷衍しているにすぎない。

しかし日本人のほとんどは、老荘や仏教を身近な生の指針としているわけではない。むしろ欧米の啓蒙思想ヒューマニズムがどんどん入り込み、さらにはグローバリズムが社会を席巻したことによって、「人生には目標が必要」とか「成功者にならなくてはならない」とか「人類は進歩する」などの、人類優先・人間特別視の考え方がいつの間にか意識にしみついている。だからこそ、本書は日本人にとってもある意味で必読書なのだ。本書には日本のこともかなり肯定的に書かれている。しかし現代の、浅薄な似非欧米型社会に成り果てつつある日本は、当事者として本書の告発を聞かなければならない立場になってしまった。