自治体職員の読書ノート

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【861冊目】竹中労『断影大杉栄』

断影 大杉栄 (ちくま文庫)

断影 大杉栄 (ちくま文庫)

ちょっと前に読んだ竹中労かわぐちかいじの強烈な劇画『黒旗水滸伝』の、いわば「地の文」に相当するのがこの本。もっとも『黒旗水滸伝』が難波大助などにも焦点を当てた大正アナキストの群像劇だったのに対し、本書はタイトルどおり、大杉栄を軸に当時の反体制運動の系譜をたどるものとなっている。もっとも、結果として、両者のカバーしている範囲はほぼ重なっている。それだけ、大杉栄という人物の存在が大きいということなのかもしれない。

活動の幅が広かっただけではない。大杉栄こそは、アナキストという生き方の深さを極めた男だった。ただ、読み方が悪かったせいか、本書から大杉栄という人物そのものの魅力や凄味というものは、実はあまり伝わってこなかった。やや無責任な直感を言うなら、著者は大杉栄個人への「肩入れ」を、意図せずして避けているような気配を感じた。むしろ著者は、大杉栄という「基準点」を通して、大正という時代の裏側をえぐりだそうとしていたのではなかろうか。

『黒旗水滸伝』の時も書いたが、大正時代は実に分かりにくい。大正デモクラシーが叫ばれ、軍縮が行われ、西洋化が進むという「歴史のA面」のウラで、アナキズムやボルシェヴィズムといった反体制・革命運動が激化し、その取締も熾烈をきわめた。貧富の差も広がり、隣国ロシアの動向もあって、労働者革命の可能性が本気で感じられた時代でもあったろう。そのへんの感覚が抜けていては、普通選挙と同時に治安維持法が導入された理由や、関東大震災の折に「社会主義者が朝鮮人を率いて暴動を起こそうとしている」などというデマが流布され、それを真に受けた人々によって虐殺が行われた理由を理解することはむずかしい。

そして、当時の反体制運動を二分したアナキズムとボルシェヴィズムの違いも、本書を読んで少し見えてきた気がした。アナキズムという思想原理がなぜ有効であり、そしてなぜ衰退してしまったかについても。そのあたりを的確に指摘しているのが、実は本文よりも、なだいなだ氏による解説。引用する。

ボルシェビキは組織のために、個を埋没させてしまう。埋没しない人間は除名して切り捨てる。しかし、アナーキストたちは、最後の一瞬まで、あくまで一個の感情を持った人間として行動した。少なくともそう努力した。アナーキストには、人間を越える価値を持つ組織などなかった。」

つまり、アナーキストは人間個人のもつ矛盾や弱さを切り捨てるのではなく引き受け、そのまま革命の現場に突っ込んだのである。しかし、組織としての強さで言えば、そうした矛盾を排除し、規律とヒエラルキーで縛った方が強力になるに決まっている。ボルシェヴィズムはその道を選んだ(その行く末にこそスターリニズムがあった)。また、既成の「民主」政府にもそういうところがある。典型的なのが軍隊である。行政にもそういうところが多分にある。個人の感情や弱さや矛盾をいちいち引き受けていては、行政は成り立たない。

しかし、人間そのものこそ、その感情も弱さも矛盾も含めて最もたいせつなものであるとして、負けることなど百も承知で、あえてその価値をこそ最優先したところに、アナキズムの美学があった。だからアナキズムは、ある意味で、ボルシェヴィズムにも既成の政府にも負けることを宿命づけられた思想だったのだ。負ける思想だからこそ、その輝きは尊く、その存在は美しい。その透徹した頂点に位置した男こそ、大杉栄だったのだから、その存在が尊く、美しくないわけはない。しかし、さてそうなると、アナキズムという思想自体が現代によみがえるとは思えないが、その「敗北の美学」を誰かが継承してくれているのかどうか、少々気になるところである。