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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【853冊目】イーフー・トゥアン『空間の経験』

空間の経験―身体から都市へ (ちくま学芸文庫)

空間の経験―身体から都市へ (ちくま学芸文庫)

空間・時間・場所をめぐる一冊。名著。

空間(space)と場所(place)の違いは何か。著者は、空間が根本的に自由で、何物にも帰属しないのに対し、場所には個人や社会にとって一定の意味や愛着が付与されているとする。そして「ある空間が、われわれにとって熟知したものに感じられるときには、その空間は場所になっているのである」という。つまり、それが「空間」なのか「場所」なのかはその人によって違ってくる。

「場所」が一定の意味や愛着をもたらすかどうかは、その人の経験、あるいはその社会や共同体の歴史による。例えば、家から会社まで移動する場合、家は愛着があってくつろいだ気持ちになれる「場所」であり、会社は仕事をするフィールドとしての「場所」である。この両者はその人のなかで明確に意識できるだろう。しかし、途中の通勤路はそれに比べるとぼんやりしたイメージにとどまり、毎日往復しているにも関わらず、「場所」として認識されているかは微妙なところだろう。

また、その地域におけるモニュメントなどが「場所」として共同的に認識される場合もある。本書の内容からはずれるが、今の日本がヤバいのは、こうした地域共同体における「場所」の存在がどんどん薄弱になっていることだ。地域の氏神様を祀っている神社、地域の賑わいをもたらす商店街などが、あるいは忘れられ、あるいは衰退している。その代わりとなりつつあるのが、コンビニであり、ショッピングモールや大型スーパーである。しかしそこには、その地域の固有性は感じられない。日本全国どこに行っても同じような「場所」がある。そういう状態は、確かに便利だし効率的ではあるのだが、反面、自分の「居場所」「居心地のよい場所」として愛着を感じられる場所が地域と断絶していくことになってしまう。結果として、地域が衰退しようが、その地域に無関係なモニュメントや建造物ができても何も感じない、鈍感な住民が大量生産されることになる。

本書は乳幼児の認知能力、社会学や心理学の知見、神話や物語、社会慣習など、驚くほど多面的な角度から「空間」と「場所」について論じている。その幅の広さにはちょっと戸惑うくらいなのだが、実は地域づくりや都市計画等を行うにあたって、もっとも根本的で本質的なことを指摘している一冊でもある。著者はこのように書いている。実務的にはそうとう厄介な指摘だろうが、関係者の方々はぜひケンケンフクヨーされたい。

「都市計画家や都市デザイナーが行う議論は、以下のような問いを論じるところまで拡大されるべきなのである。すなわち、空間の認識と、未来の時間という観念、目標という観念とのあいだにはどのような関係があるのか。身体の姿勢および個人の関係と、空間の諸価値および距離の関係とのあいだにはどのような関連があるのか。われわれは、人や場所に対して感じる「くつろぎの気持ち」である「親密性」をどのようにして描写するのか。どのような種類の親密な場所を設計することができ、どのようなものは設計することができないのか(少なくとも、非常に人間的な出会いが可能になるような設計はすることができる)。空間と場所は、冒険と安全、開放性と限定性を求める人間の欲求が環境として現れたものなのだろうか。場所に対する永続的な愛着ができるにはどのくらいの時間がかかるのだろうか。場所の感覚は、場所に根ざしている状態(略)と、疎外されている状態(略)とのあいだに成立する認識なのだろうか。われわれは、際だった視覚的象徴をもたない、場所に根ざした共同体の可視性をどのようにして高めることができるだろうか。どのようなことが、そのような可視性を高めることから生じる利得であり損失なのだろうか。」