自治体職員の読書ノート

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【850冊目】ドナルド・キーン『能・文楽・歌舞伎』

能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫)

能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫)

入口を探して、ずっと周りをうろうろしていた。

能や狂言は学校での観劇教室で1回、歌舞伎は社会人になってからこれも1回しか、ナマで見たことはない。テレビでやっているのは時折ちらちらと観ていたが、予備知識もなく単に眺めているだけでは、ほとんど何もわからない。渡辺保などの歌舞伎関係の本を読んだが、今度は範囲が広すぎて何がなんだかわからなくなった。

気にはなるのだが、本腰を入れて付き合う余裕もなく、ずっと遠巻きにして眺めていた。ところが、今週の月曜から4日間、NHKハイビジョンで『伝統芸能の若き獅子たち』という番組をやっているのを観て(2日目の、尺八の藤原道山の回だけ見逃したが)、何となく入口が見えてきたような気がした。このシリーズ、狂言茂山宗彦・尺八の藤原道山、歌舞伎の市川亀治郎文楽の吉田蓑次といった伝統芸能の世界の「若手」にスポットを当てて紹介するものだったのだが、単に若手スターをもてはやすようなものではなく、下積みの視点から狂言や歌舞伎などの世界を照らすなかなかの力作番組であった。特に彼らの師匠にあたる茂山千作、吉田蓑助などの人間国宝級の人々の円熟の芸をたっぷり観ることができたのは、望外。主役の「若手」の芸と千作や蓑助の芸を比べると、若手の方々には悪いが、後者のもつ凄みが否応なく浮き出てくる。ただ、インタビューをしているらしき人(ディレクターだろうか)の投げかけるアホな質問には辟易したが。今日の吉田蓑次にしても、大舞台が終わったばかりの人に対して「今の舞台は何点でしたか?」などと聞く無神経さは信じがたい。

それはともかく、やっとこさ入口らしきものが見えたと感じたので、昨日から今日にかけて、ずっと前から気になっていた本書を一気通読してみた。ちょうど番組の進行と本の内容がパラレルとなり、自分のなかでいろいろ深まった部分や起伏ができた部分があった。NHKのほうが「現代」の伝統芸能を紹介していたのに対して、本書はその歴史や成り立ちから説き起こし、その外形的な特徴から芸の本質に至るまで幅広く綴った一冊だ。しかも、もともとが外国人向けに日本の能や文楽、歌舞伎を紹介した文章であるから、非常にロジカルで分かりやすい。ちなみに翻訳は吉田健一。英語のロジカルな部分をしっかり残しつつ、明晰で流麗な日本語に置き換えた、見事な訳文である。

思えば私にとって、日本の伝統芸能は、なかなか実感をもって「自分たちの国の伝統」として地続きで意識できない部分がある。頭では分かっているのだが、感覚的にどこかで断絶がある。アメリカ人に日本の伝統芸能を教えてもらうというのは考えてみれば奇異な話なのに、読んでいてまったく違和感を感じない。ただ、一方でいまや歌舞伎も能・狂言文楽も多くの客を集めており、特に歌舞伎の隆盛は相当なものであるらしい。私だけが目に見えない断絶を感じているのだろうか。あるいは、歌舞伎座能楽堂に足を運ぶ人たちもまた、異国の芸能を楽しむような感覚で、「われらが」伝統芸能を楽しんでいるのだろうか。