自治体職員の読書ノート

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【842冊目】村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

奇妙な二重らせんの物語。

「世界の終り」は明らかな異世界で、語り手の「僕」は影を引き離され、図書館で「夢読み」に従事する。そこは心を持たない人々の街である。カフカを思わせる陰鬱な謎めいた世界。

一方、「ハードボイルド・ワンダーランド」は現実の世界に近いが、「計算士」「記号士」といった謎めいた職業、地下に潜む邪悪な「やみくろ」など、非現実的な要素が大きく影響している。語り手の「私」は「組織」に属する計算士だが、ある老博士と出会うことでその運命は徐々にねじ曲がっていく。

これまで読んできた(それほど読んだわけではないが)村上春樹の長編作品の多くは、現実の世界から始まり、そこから徐々に亀裂が広がり、世界の割れ目の向こう側が垣間見えるというものだった。しかし、この小説では最初から、ほとんど説明抜きで読者は「非現実」の世界、すなわち「割れ目」の向こう側に送り込まれる。そこに展開されるのは高度に抽象的で幻想的な物語。そこは一見、理不尽と不条理で満ち溢れた世界なのだが、それぞれの世界はよく見るとその世界なりのルールがあり、調和がある。特に「世界の終り」が、現実世界との乖離の度合いが大きい分、そうした傾向が顕著だ。面白いかと正面から問われると一瞬迷うのだが、しかし読みだすと妙な牽引力があってやめられないし、読み終わった後には、2つの世界の奇妙なインパクトが思いのほか深く心の中に食い込んでいることに驚く。先が見えないまま一歩一歩歩いていた山を遠くから見て、その全容に驚くような感じだ。

村上春樹という作家はずいぶん奥行があって謎めいたところがあるように思うが、この小説は、かなり村上春樹が「書きたい」世界をダイレクトに書いているような印象がある。壁や図書館、「やみくろ」など後に続く要素も多いが、それだけではなく、いつもは隠しつつ小出しにしている「現実世界の裏側」のありようを、この小説は正面から描いているからだ。それだけにとっつきが良い小説とはいいがたいが、村上春樹という稀有の作家の鉱脈を探るのなら、この小説には大きなヒントが隠されているように感じる。