【841冊目】菅啓次郎『本は読めないものだから心配するな』
- 作者: 管啓次郎
- 出版社/メーカー: 左右社
- 発売日: 2009/10/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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書評や本をめぐるエッセイだが、本のつくりがユニーク。
まず目次がない。章も節もない。小見出しもタイトルもない。元になっているのはいろいろな雑誌等に掲載されている文章なのだが、間に一行の空白を置くだけで、ほとんどひとつながりの文章のように淡々と続いていく。各見開きの左上には、そのページをいわば集約するかのような一文が上げられており、ページをめくって次々にその文を追っていくだけで、実は本書の内容のエッセンスを通観することができる。
そのような体裁に違和感がないくらい、文章のトーンが見事に揃っているのが面白い。著者の文章は初めて読んだが、静かなところからひそやかに語りかけてくるような、独特の味わいがある。一見淡い印象なのだが、その背後に膨大な博識と教養と知性がたゆたっているのが、感じられる。そして、何より本に対する真摯な姿勢と、それを支える豊かな感性の素晴らしさ。それが時折、マグマのように文章の端々に噴き出してくる。それは、本の読み方のみならず、人生の送り方に関する深遠なアフォリズムであり、「本」と「旅」と「人生」が一体のものとして迫ってくる。
ちなみにタイトルの「本は読めないものだから心配するな」に関しては、次のような文章が書かれている。
本に「冊」という単位はない。これを読書の原則の第一条とする。本は物質的に完結したふりをしているが、だまされるな。ぼくらが読みうるものはテクストだけであり、テクストとは一定の流れであり、流れからは泡が現れては消え、さまざまな夾雑物が沈んでゆく。本を読んで忘れるのはあたりまえなのだ(略)問題なのはそのような複数のテクスチュアルな流れの合成であるきみ自身の生が、どんな反響を発し、どこにむかうかということにつきる。読むことと書くことと生きることはひとつ。それが読書の実用論だ(後略)
同感。付け加えることはなにもない。