自治体職員の読書ノート

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【835冊目】岡倉天心『東洋の理想』

東洋の理想 (講談社学術文庫)

東洋の理想 (講談社学術文庫)

「アジアは一つである」

あまりにも有名なこの言葉は、もともと本書の第一文に置かれたものだ。多種多彩な文化が栄え、交流したアジアを一体ととらえ、その関係性のなかで日本文化を位置づける本書は、アジアの中における日本文化の位置を考える際の古典といえる。

そもそもこの本が書かれたのは1900年代初頭。つまり前回読んだ『武士道』とほぼ同時期だ。そして、新渡戸稲造が武士道を日本人の精神の拠って来たるところとして世界に伝えたのと同じように、天心は怒涛のような西洋文化の流入のなかで、インド、中国、日本と連なる東洋文化の偉大さを堂々と主張した。その内容には、現代の視点からするとどうかと思える点、あまりに単純化し過ぎているように思われる点も見られないではないが、それでもこの日清戦争直後の、文明開化と富国強兵のこの時代に、アジア全体を見据えた視野の広さ、文化芸術に対する知見の深さ、歴史と伝統に対する認識の奥行きをここまで高いレベルで兼ね備え、「東洋」と「日本」を敢然と世界に向かって主張するというのは、並大抵ではない。今の日本文化・日本芸術界に、はたして岡倉天心がひとりでもいるだろうか。

本書は前半で日本の古代文化、北部中国の儒教文化と南部中国の老荘思想道教、さらにはインドから伝来し、中国で変容した仏教やそれらに根ざした芸術の世界を詳しく取り上げる。ここで面白いのは、北部中国を儒教文化、南部中国を老荘道教文化と明確に区分けし、論じているところ。われわれは「中国」というとどうしてもひとつの文化圏のカタマリ(チベットウイグルなどは別として)に見てしまうが、実は北部中国と南部中国は社会も文化も全くと言ってよいほど違うらしいのだ。それは孔孟と老荘の違いに始まり、仏教の伝来の仕方においてもまるっきり違うし、芸術品の現れ方もほとんど別の国であるかのように異なる。ということは、日本に中国から何かが伝来したと言うとき、それが「北部」なのか「南部」なのかを見ておくことが、その内容や特質を判断するときにとても大事になるということだ。

まあ、そのようにして儒教道教・仏教のそれぞれをベースにした文化芸術のあり方を見た後に、著者の眼は日本に向かう。こちらは時代順に、飛鳥・奈良・平安・藤原・鎌倉・足利・豊臣及び初期徳川・後期徳川・明治と、それぞれの時代における文化芸術のありようを眺めていくのだが(平安後期を「藤原時代」として区分けしているところが面白い)、その中で著者がひとつの共通フレームとして提示しているのは、「インドで生まれ、中国で変容し、日本に伝わる」という流れ。つまり、日本はアジア全体の文化芸術が、場合によってはインドや中国以上に、昔の姿をとどめたまま保存されている国であるという(代表的なのが正倉院)。したがって、著者はこう言う。「日本の芸術の歴史は、かくして、アジアの諸理想の歴史となる」

つまり、日本はアジア全体の文化芸術が集まる芸術センターであり、日本に伝来した芸術を見ることはアジア全体の芸術を見ることになる、というのが、近代日本美術界を先頭に立って切り開いてきた著者、岡倉天心の構想なのだ。たしかに、現代から見れば、東洋の芸術の「すべて」が日本に集まっているといえるかどうかは疑問である(当然、それなりの取捨選択や日本での変容が起こっているだろう)。しかし、おそらく重要なのは、こうした構想を抱くことで天心がなそうとしていたのは、(本書のなかの例えを使えば)東洋芸術の扇の要として日本を位置づけ、そこを支点に東洋芸術を支えることで、急激に流れ込んでくる西洋芸術の猛威から東洋芸術を守るということではなかったか、ということだ。当時、そのようなことがなしえたのは、東インド会社に支配されたインドでも、日本を含む諸外国の食い物にされつつあった中国でもなく、近代化をなしとげ、まがりなりにも西洋列強のなかに加わろうとしていた日本しかなかったのだから。