自治体職員の読書ノート

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【832冊目】松岡正剛/エバレット・ブラウン『日本力』

日本力

日本力

対談だが、傑出した日本論、日本語り。凄い。

エバレット・ブラウンは写真家だが、同時に房総半島でマクロビオティックに取り組み、「ブラウンズフィールド」という農場を営む。写真家ならではの大胆かつ細心の観察力に加え、マクロビオティックという活動からもわかるように、人間と自然、身体と精神をつなげて語ることのできる稀有の人だ。しかも、日本はこれまで、ほとんどつねに「異人」によって発見され、評価され、価値を見い出されてきた。ラフカディオ・ハーンブルーノ・タウト、アーネスト・フェノロサ……。このブラウン氏も、本書の中で指摘されているとおり、まさしく「今ハーン、今タウト、今フェノロサ」。日本をここまで「外」と「内」から同時複眼的に見ることのできる人は、めったにいない。

そのブラウン氏が、同じく「めったにいない」日本の語り手、松岡正剛氏と存分に語り合ったのがこの本だ。はっきりいって、並みの日本論とは水準が違う。武士道や能や俳諧源氏物語で日本を語る人は多いが、それと「ケータイのストラップ」や「ガングロ」や「コスプレ」とつないで語れる組み合わせは、おそらく他にはないだろう。

いろいろ学ぶ点の多い一冊だったのだが、特に深刻な衝撃を受け、反省したのが「ホームポジション」の話。ホームポジションとは、常に自分が立ち返ることのできる場所をいうのだが、二人によると、まず大事なのは「自国における自分のホームポジションを持つこと」だという。そのためには、単に上っ面の知識や情報を集めるのではなく、しっかり「時間」と「手間暇」をかけなければならない。そうやって自分のホームポジションができてはじめて、周囲の「知」を重ね合わせ、位置づけることも可能になり、ひいては空間と時間をめぐる「知のマップ」ができるのだという。たとえば宗教とのかかわりでいうと、まずは「地域の氏神」と「ご先祖様」を身近に感じることからはじめる(いきなり靖国伊勢神宮にいかない)。氏神を取り戻せれば「村(地域)」がよみがえる。すると「地域」の境界領域がかたちづくられ、その中にある川とか山とかに根ざした「昔話」がよみがえる。そうすると、昔話というのは地域の歴史に沿って変遷していくものなので、歴史というものを現在の地域と地続きでとらえることができる。また、地域の境界が見えることで、その外側にある「世界」を感じることもできる。

これはすなわち、「氏神様」と「ご先祖様」を基点にした、空間と時間のマップが構成できるということだ。昔の日本人はそういうマップを自然と持っていた。それが崩壊したのが、明治から戦中にかけての「神仏分離」と「国家神道」と「教育勅語」。これらが何をしたかというと、「個人」と「国」をいきなりつなげ、その中間にあった「地域」をすっ飛ばしてしまったのだった。氏神様の信仰は小学校の「ご真影」に取って代わり、神仏習合的で多神的な信仰観は、人工的な国家神道に根こそぎ変えられた。その「後遺症」が結局は、戦後60年以上を経た現代にも残っている。

私自身がそういう状況の中にあるということを認識しなければならない。その上で、信仰や文化、地域における「ホームポジション」を見い出さなければならない。それが「地域」ということにもつながっていくのだし、自治体職員としての立場で言えば、地域というものをはぐくんでいくための基本的スタンスにならなければならないのだろう。それなくしていたずらに濫読を繰り返しても、永遠に知のマップなど作れまい。そんなことを痛感し、しかし今気づかせてくれたことに感謝しつつ、読み終えた一冊であった。