自治体職員の読書ノート

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【831冊目】磯田光一『鹿鳴館の系譜』

明治16年11月28日、海外の貴賓をもてなす社交場として、鹿鳴館は開館した。破格の経費を投じて建てられたその建物で開催された舞踏会について、ピエール・ロティは「まったくの猿真似」と断じ、「この国民には趣味がないこと、国民的誇りが全く欠けていることまで示している」とこき下ろした。その後も、鹿鳴館といえば上っ面の欧化主義の象徴であり、否定的に評価されることも多かった。

しかし一方、明治の日本人たちにとって、鹿鳴館は笑いごとではなかった。それは目新しい西欧文化の絢爛たる象徴であり、欧化という大きな波を日本文化が潜り抜けるためのひとつの試練であった。そして、そのような「鹿鳴館的なるもの」は、当時の文学や音楽、思想や社会風俗に至るまであらゆるところに見られるのであり、その意味で鹿鳴館は、ただしく明治という時代を象徴する存在であったのだ。

本書はそのような「鹿鳴館的なるもの」を当時の日本に幅広く求め、その通ってきた道をたどり直すことを通じて、日本の近代というものがどのように成り立ってきたかを描きだす。取り上げられるのは「文学」という訳語の成り立ち、小学唱歌、硯友社丸善、東京外国語学校と二葉亭四迷浮雲」、雑誌「明星」と晶子「みだれ髪」、夏目漱石佐藤春夫、銀座や日比谷の都市とそれを描く前衛芸術、「革命」思想と、おそろしく多岐にわたるテーマ。いわば、明治から昭和にかけてのモダニズムそのものの発生と展開が、鹿鳴館のいわば変奏曲として奏でられ、近代というひとつの時代がそれを通じてあぶりだされる。

そしてラストに登場するのは何と、聖徳太子伊藤博文吉田茂という奇妙な3人の比較を通じての「古代・明治・昭和の鹿鳴館」論。この3人に共通するのは、急激な海外の文化流入に直面し、それを「翻訳文化」として取り込み、同化するという経験をした時代のリーダーであるという点である。言い換えれば、日本は古代より現代に至るまで、そうした「翻訳文化体験」を繰り返し経ているのであって、明治モダニズムもそうした文脈でとらえるべきである、ということだ。日本の歴史は、「開国」による文化流入への対処と「鎖国」による自国文化培養を、何度も繰り返しながら現代に至っているのである。