自治体職員の読書ノート

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【830冊目】伊部英男『開国』

開国―世界における日米関係

開国―世界における日米関係

サブタイトルは「世界における日米関係」だが、実はこちらのほうが本書の内容を言い表しているように思う。

「開国」というとペリー(本書の言い方では「ペルリ」)の黒船を思い出すが、本書はその黒船来航にはじまり、なんと太平洋戦争から占領後の戦後日本までを一挙通観する。明治維新日露戦争大正デモクラシー世界恐慌……と、まさに近代日本の総ざらえ。しかも、それぞれに著者の視点が活きており、読者は、著者の「歴史の見方」を通して近代史を読むことになる。

巻末の著者紹介をみると、著者はいわゆる歴史学者ではない。専門は年金や社会福祉であり、厚生省や日本社会事業大学などを歴任されている。近代史とのかかわりでいうなら、むしろ大学卒業後、海軍短期現役士官として太平洋戦争に従軍した経験が、本書の「肥やし」になっているというべきかもしれない。しかし、本書自体は著者の体験もところどころに顔を出すものの、広範な文献研究がベースとなっており、少なくとも素人目には、近代史プロパーの学者の著作と比べても遜色のない出来になっているように思う。

いろいろ面白い指摘があるのだが、中でも本書全体の白眉というべきは、幕末の幕府がペリーやハリスと行った対米交渉と、太平洋戦争前夜の内閣がルーズヴェルトやハルと行った対米交渉が、その性質においておそろしく類似しているという点である。著者は幕末と昭和前期の2つの対米交渉の場面を、次の点で相似形であるとする。

第一に、日本における組織とリーダーシップのあり方である。日本における組織の意思決定はボトムアップ方式で、全員一致方式で下からあがっていくことが多い。リーダーの独断専行は嫌われ、能力よりも人柄(良く言えば「調整能力」)が重視される。しかし、国家間交渉はトップを相手にせざるを得ない。そのため、幕末の場合も戦争前夜の日米交渉も、トップは交渉の結果を踏まえて国論をまとめる権限も能力もなく、結果として交渉相手の不信を買い、交渉自体も進まないどころか、かえって日本は交渉する気がないものとみられてしまう。

第二に、アメリカ人やイギリス人にとっては、ある原則を定めることはほとんど問題処理の終わりに等しい。個別具体的なケースはすべて原則を適用して演繹的に解決される。しかし、日本人にとって原則はあくまでタテマエであり、個別具体的なケースはホンネである「例外」として処理されることが多い。そのため、交渉において原則を定めても次から次へと「これは例外」「これは例外」となってしまい、米英にとって日本人は「ウソツキ」であるとされることになる。また、肝心の「原則」そのものも、対立するテーマであればあるほど日本人は玉虫色で両義的な表現を好み、イエス・ノーを明確化する米英の交渉者の不信を買うことになる。

実際にはいろいろと細部の事情が積み重なって、幕末であれば不平等条約や貨幣問題の失敗、戦前であれば交渉決裂と真珠湾攻撃につながってしまうのであるが、日米の大きな理解の溝は上の二点であるというのが本書の主張である。そして、その状況は戦後も続き、日米経済摩擦や、おそらくは今日の普天間基地移設問題などにもつながってきているように思われる。日本の近現代は、ペリー、ハリスに始まって現代まで、よかれあしかれ、ほとんど常にアメリカとのかかわりが大きな役割を果たしていた。本書はその「かかわり」に内在する「ずれ」を抽出することで、日本近現代史の一側面をみごとにあぶり出したと言える。