自治体職員の読書ノート

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【824冊目】今谷明『武家と天皇』

武家と天皇―王権をめぐる相剋 (岩波新書)

武家と天皇―王権をめぐる相剋 (岩波新書)

武家政治」と「天皇」の一筋縄ではいかない関係を、主に秀吉〜家康時代を中心に読み解く一冊。実はその前、南北朝室町時代のほうが、両者の関係はずっと込み入っていたのだが、そのあたりは本書ではかなりあっさりと扱われている。もっとも、実は著者の専門領域はむしろ室町時代近辺らしく、そのあたりは別に著作がたくさんある、ということらしい。

本書全体の底には、ひとつの疑問が流れている。それは、幕府はそもそもなぜ天皇制度を維持してきたのか、という点だ。鎌倉幕府の執権北条家にせよ、室町幕府の足利氏にせよ(もっとも、足利義満皇位簒奪計画を立てており、本気で自らを天皇に代わる最高権威としようとしていた)、あるいは秀吉、家康、その後の徳川幕府にせよ、こと武力という点では、天皇側を圧倒していた。しかし、義満の例外を除き、幕府は天皇を打倒して最高位の支配者となろうとはせず、むしろ天皇を自らの統治システムに何らかの形で組みこみ、外敵の討伐に際しては、天皇の「治罰」綸旨を得て、天皇の名のもとに武力を行使していた。中国やヨーロッパの歴史に引き比べてみると、これは相当に奇妙なことだ。

中でも顕著なのが秀吉だ。秀吉は、天皇を頂点とする律令的官位制度をそのまま各地の大名支配に適用し、自らは「関白」として天皇に次ぐナンバー2の地位に就いた。これは、実力主義の戦国時代の終わりに「王政復古」を持ち出したということだ。それに比べると、家康は天皇にずいぶん冷淡だったらしい。家康に限らず、徳川幕府はどちらかというと天皇と距離を置いてこれを政治的にコントロールする道を選び、その主導権をめぐっては、紫衣事件や譲位問題など、両者の間で相当に火花が散らされた。しかし、それでも「天皇制度をつぶす」というところには到底至らず、結局この二重統治システムは明治維新まで続き、尊王攘夷の火種となっていったのである。

著者は徳川幕府(に限らず、武家政権全般)が天皇制度を必要とした理由を「天皇なる存在は、武家政権の不可欠の補完物であった」ためである、とする。その理由は、天皇征夷大将軍という「地位」を任命する「任命権」をもち、武家に対する官位の付与、さらには東照大権現という祖神形成まで、いわば統治権と祭祀権の担い手として、幕府の統治に正統性を与える役割を担っていたからであった。武家政権は、ほとんど常にいろいろな火種を抱えている。それに対して「われこそが日本国の正統の統治者である」という根拠は、唯一天皇だけが与えうるものだったのだ。徳川政権が300年近く続く長期政権となりえたひとつの理由は、この中心が2つある楕円のような統治システムがうまく機能したゆえ、と言えるのかもしれない。もっともこのあたりは、南北朝や室町、あるいは幕末から太平洋戦争あたりまでを通観し、いろいろな方向から光を当ててみないと、なんとも言えないところではあるのだが……。