自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【821・822冊目】堀田善衛『定家明月記私抄(正・続)』・唐木順三『無常』

定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫)

定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫)

定家明月記私抄 続篇 (ちくま学芸文庫)

定家明月記私抄 続篇 (ちくま学芸文庫)

無常 (ちくま学芸文庫)

無常 (ちくま学芸文庫)

混乱と無常の日本中世を綴った逸品二冊(いや、三冊か)。

それぞれに異なる「モノサシ」を当てることで、平安貴族王朝から鎌倉武家政権へと移り変わる日本の姿を見事に描き出している。その「モノサシ」とは、『定家明月記…』では、藤原定家がほとんど生涯かけてつけつづけた日記「明月記」であり、それを通して定家が世の中を眺める「視点」である。一方、『無常』はもう少し抽象的で、平安時代の「はかなし」という感覚が、鎌倉時代の「無常」に変わってゆくさまに注目することで、背後にある時代感覚や人々の心のありようを浮き彫りにしていく。

そこにあぶりだされてくるのは、「平安」から「鎌倉」への180度の価値転換と、延々続く騒乱、加えて飢饉の発生による、すさまじいばかりの日本の荒廃。なにしろ天皇摂関政治という統治システムが、武家政権の幕府と朝廷の二重構造的統治システムにがらりと変わったのである。その混乱たるや、ただごとではない。しかも、保元の乱平治の乱にはじまり(慈円は『愚管抄』で、ここをもって「武者の世」が始まったと説いている)、平氏と源氏の戦い、さらにはせっかく立ち上がった鎌倉幕府内での血で血を洗う暗闘と、先の見えない状態が長く続く。王朝文化のなかで育まれた情緒的な「はかなし」が、もっとリアルで実感的な「無常」に変わっていったのも、むべなるかな、である。

その中で貴族文化の灯を受け継ごうとしていた一人が、定家である。もっとも、それは失われつつある平安貴族文化を伝えていこう、というような殊勝なこころがけがあったわけではなく、むしろ巷の戦乱に背を向けて、王朝内部は相変わらずの和歌と蹴鞠の世界に浸っていた、というだけなのであるが。むしろ、源実朝に代表されるように、鎌倉幕府側も文化という面では平安貴族文化を超えるべくもなく、むしろそこに身を寄せていったのであった。そして、その中で王朝末期における美の極点のような歌を詠んだのが、定家であり、後鳥羽院である。ちなみに、本書で初めて知ったのだが、後鳥羽院のキャラクターの強烈さは凄い。宮廷内部での奢侈三昧、「承久の乱」での突如の暴発、隠岐に流された後の失意の人生と、なかなかの役者である。その詠む歌もまた、貴族文化のひとつの極致を示しているようで、面白い。

定家の歌は、それとは違った凄味がある。色の重ね方、有名な「見渡せば花ももみじもなかりけり」の、「引き算」による演出の鮮やかさなど、王朝文化の最高点はこれらの歌によって極められ、ラストを飾ったのである。もっとも、定家自身は宮廷人としてはなかなかの俗物であり、官職と地位を得るために老年になっても猟官運動を続けていたという。歌からはなかなか想像できないが、ずいぶん野心的で精力的な人物だったらしい。

『無常』では、乱世のなかで花開いた仏教にも着目していく。特に道元の思想と「無常」を重ね合わせて論ずるくだりは、圧巻。時代の精神という視点で平安から鎌倉までを一気に射抜く名著である。同じ名著でも、『定家明月記…』は定家の視点と著者の視点が重なり合い、じっくりとその時代を描き出していく。著者は40年をかけてこの本を書き綴ったそうである。明月記の中で流れる時間のたゆたいと、それを読み解く著者の中に流れる時間のたゆたいが、絶妙。今回は一気に読んでしまったが、本来は読む側もまた、じっくり、ゆったりと読むべき本であろう。