自治体職員の読書ノート

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【802冊目】歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』

葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)

葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)

この本をネタバレなしで紹介することは難しい。無難なところから書くと、この著者は現代社会の底辺を描くのが巧い。特に2章目の「古屋節子が築いた屍」は、読んでいて鳥肌がたつ。弱い人間がいかに簡単につけこまれ、堕落していくか。そのリアルな筆致は宮部みゆきの『火車』や『理由』を思わせる。ヤクザ事務所の描写も、どの程度「本当」なのかわからないが、いかにも、と思わせるリアリティがある。

現在の事件と過去の出来事を交互に混ぜて書くやり方も、自然でソツがない。巧妙に過去の出来事を挟みこんでいくことで物語にリズムが生まれ、読み手は「先が知りたい」という欲をどんどんかきたてられることになる。一人称の独白体は単調になりやすいのだが、本書はそこを、時間軸を変えることでうまく切り抜けている。

これ以上書くと本書の核心に触れてしまうのでヤバイのだが、ネタバレすれすれと思われるところまで書くと、なるほど、「これ」はたしかに盲点であった。小説を読むとき、人は書いてあることだけを「読む」のではなく、書かれていない「余白」を自分なりに補って読んでいる。どんな小説も、すべてを文中に書き込むことなど絶対に不可能である以上、これはやむをえない。本書は大げさに言えば、そうした小説の「仕組み」をうまく逆用してトリックに仕立て上げている。

実は本書を読んでいて、これって「設定のアラ」や「描写の稚拙さ」なんじゃないの? と思える箇所がいくつかあり、少々首をかしげながら読んでいた。しかし、仕掛けが明らかになってみれば、実はそれこそが伏線だったことに気づくのだ。してやられたり、とはまさにこのこと。まあ、これくらいにしておきましょうか。最後に一つだけ。私は仕掛けが明らかになった時点で、実は本書を最初から読みなおしたのだが、過去「そういうこと」をやった作品は、クリスティの『アクロイド殺人事件』と筒井康隆の『ロートレック荘事件』だけであった。