自治体職員の読書ノート

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【776〜777冊目】白川静『桂東雑記4・5』

桂東雑記 4

桂東雑記 4

桂東雑記〈5〉

桂東雑記〈5〉

かつて、東洋は漢字でつながっていた。中国、朝鮮、日本、あるいはベトナムのあたりまで、中国で生まれた漢字がほぼそのまま国内でも使われた。漢字に伴って、たとえば詩文などの文化的素養も伝わり、異国の者同士が漢詩を贈りあうことで共通のコミュニケーションが図れた。漢字は東洋のコミュニケーションの土台であった。

ところが、驚くことにすべての国で、本来の「漢字」は衰退した。韓国はハングルを大幅に導入し、日本は漢字仮名交じりの上、当用漢字の制定でもともとの字体を大きく変えてしまった。本家本元の中国も簡体字を導入した。その背景には漢字習得の「難しさ」がある、ということなのかもしれないが、それは違う、と白川氏は本書で語っている。漢字の成り立ちにさかのぼってその字義を知り、そこから敷衍していけば、多くの漢字を系統だてて覚えることができるのであって、今のようにひとつひとつの漢字を散発的に覚えさせようとするからダメなのだ、と。

例えば「今」という字はもともと瓶や壺の蓋を意味した。そこから、口に蓋をして(すぼめて)小さな声で歌うことを「吟」、財宝を意味する「貝」に蓋をして隠し、独占することを「貪」、心に蓋をして人知れず深く思うことを「念」となったという。こうやって系統だてて覚えれば小学生でも忘れない。しかし、今の漢字教育は「今」を小学校2年生、「念」を4年生、「貪」「吟」は中学生以降に覚えるとされている。こうしたことでは漢字学習がうまくいかないのは当たり前である。白川氏が死の間際に準備していたのは、こうした「漢字の系統」をまとめた一冊の本であったらしい。それが完成していたら、日本の国語教育を変える一冊になったかもしれない(まあ、文部科学省がこれを採用すれば、の話だが)。96歳という享年を「惜しまれる」と言うのも変だが、惜しまれる死であったとしかいいようがない。

本書は著者がその死の数年前に行った講演や書いた文章を集めたもの。90歳を超えても精力的に各地で講演をしておられたのにも驚かされるが、その内容の濃さにも圧倒される。40代や50代の大学教授でも、これほどの濃密な講義を続けている人は稀であろう。上に挙げた漢字系統論以外には、同郷の歌人、橘曙覧をめぐり、万葉から明治までを通観する歌論がおもしろい。万葉集のDNAがその後も形をかえつつ脈々と受け継がれ、明治になって曙覧という大きな果実となるまでの流れを知ることができる。それにしてもこの橘曙覧という歌人、実にすばらしい歌をたくさん読んでいるんですね。恥ずかしながら、全然知らなかった。