自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【765冊目】カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』

ルイ・ボナパルトのブリュメール18日―初版 (平凡社ライブラリー)

ルイ・ボナパルトのブリュメール18日―初版 (平凡社ライブラリー)

かの『資本論』が経済に関する革命的な書物であるとすれば、本書は政治に関する一種の革命的書物である。

とはいえ、本書は別に革命をアジテートする類の本ではない。むしろ逆に、革命によって何か新しいことが起きるのではないかといった希望に強烈な冷や水をぶっかける一冊である。なぜなら、本書が明らかにしているのは、「歴史は繰り返す」という冷酷な事実、ただそれだけであるからだ。第1章ではこう書かれている。

「生きている者たちは、自分自身と事態を根本的に変革し、いままでになかったものを創造する仕事に携わっているように見えるちょうどそのとき、まさにそのような革命的危機の時期に、不安そうに過去の亡霊を呼び出して自分たちの役に立てようとし、その名前、鬨の声、衣装を借用して、これらの由緒ある衣装に身を包み、借り物の言葉で、新しい世界史の場面を演じようとするのである」

このことを柄谷行人は、「一種の反復強迫の問題」と本書付論でまとめている(なお、本書に付されたこの論考は、本書の位置づけとフレームを知る上で非常に役に立つ。先に一読しておくと良いかもしれない)。もっとも、注意すべきは「反復がありうるのは出来事そのものではなく、その形式」であることだ。「王が倒されて共和制が実現し、その中から選ばれた者が独裁を敷き、やがて皇帝になる(なろうとする)」というパターンは、ローマ時代のシーザー(カエサル)において見られ、フランス革命からナポレオンに至る過程でも見られ、2月革命からルイ・ボナパルトの「第二帝政」に至る過程でも見られる。その相似性の高さは気味が悪くなるほどだ。

本書の本体部分は、フランス二月革命からルイ・ボナパルトがクーデタを起こすまでのプロセスを、鋭い論評を加えながら丁寧に追っていくものである。男子普通選挙が行われ、憲法制定国民議会が開催された当のフランスが、なぜふたたび「独裁」を自ら選び、しかもその頂点に、凡庸そのものの「独裁者ルイ・ボナパルト」を迎えるに至ったのか。その背景にある政党間・階級間の争いや複雑な利害関係の錯綜、そして「特定の階級の代表ではなく、全国民の代表」となったルイ・ボナパルトが結局頼りにしたのは「官僚制」と「軍隊」であったという皮肉。議会の機能不全が、強力な執行権をもつ独裁者の出現を待望するという事実。

こうした一連の歴史の流れは、単に当時のフランスの混迷というだけでなく、マルクスが知る由もない後年のドイツに慄然とするほど似通っている。もちろん細かいところは違っているが、最も先進的といわれたワイマール憲法に基づくドイツの民主主義がヒトラーを生んだことと、二月革命と普通選挙のフランスがルイ・ボナパルトを生んだことは、ほとんど相似形にちかい。

なお、戦前の日本についても柄谷氏は「付論」で考察を加え、やはりその類似性について指摘しているが、読んでいると、戦前の日本はおろか、今の日本の姿までその裏側に透けて見えるところが恐ろしい。次のルイ・ボナパルトヒトラーは、いったいどこから出てくるだろうか?