自治体職員の読書ノート

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【761冊目】立川武蔵『仏とは何か』

仏とは何か ブッディスト・セオロジー(3) (講談社選書メチエ)

仏とは何か ブッディスト・セオロジー(3) (講談社選書メチエ)

「ブッディスト・セオロジー」(仏教の神学)3冊目。「仏」とは何かという、仏教の中核に迫る一冊。

「仏」とは何か、と改めて問われると、これがなかなか難しい。「仏」の意味自体が、仏教の宗派や歴史によってかなり大きく変わってきている、ということもあるし、そもそもそうした「定義づけ」的な問いかけ自体が、仏教というある種曖昧模糊とした宗教になじまない、という面もあるように思う。

だいたい、仏教と言えば仏像、というくらい、現代では、「仏」のイメージを具現化したものといえば仏像なのだが、仏教の草創期には仏像はなかった。その代りに信仰の対象となったのが、「仏塔」という、独特の形状をした「塔」であった。これはもともとはゴータマ・ブッダの遺骨を分けてこれに納めたことから信仰の対象になったらしいのだが、その後はこれ自体が一種の世界模型のように扱われたり、ブッダの顔がその上部に描かれたりするようになってきたという。仏教における「世界の中心に存在する山」須弥山の形も、この仏塔の形である。

その後、仏教が各地に伝播するにつれて仏像も出現してくるのだが(宗教が拡大すればするほど「偶像」が必要になるのは仏教だけの話ではない)、ややこしいのは、宗派が分かれてくるに従って、ゴータマ・ブッダ自体が輪廻の流れの中に位置付けられて、「修行と瞑想の結果として悟りをひらいた一般人」ではなく「前世の行いによって最初から悟りをひらくべくしてひらいた運命をもつ別格の人」になってきたところ。そこには、「誰でも悟りをひらくことができる」という思想から「悟りをひらけるかどうかは前世からの流れによる(輪廻)」という思想への大転換がある。ちなみに、この「輪廻」自体もブッダ自身が説いたものではなく、あとから仏教に「移入」されてきたものである。

さらにいわゆる大乗仏教の出現によって話はさらにややこしくなるのだが、いずれにせよ、「仏」や「菩薩」(他の宗教で言えば「神」や「聖人」?)と一般の人間の関わり方がこれほど多様な宗教は、ちょっとめずらしいのではないだろうか。