自治体職員の読書ノート

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【753冊目】立川武蔵『マンダラという世界』

以前読んだ『聖なるもの俗なるもの』に続く、「ブッディスト・セオロジー」第2巻。

本書のテーマは「世界観」である。そもそも、仏教は「世界の成り立ち」や「世界の構造」にあまり注意を払ってこなかった。むしろ、特に初期仏教では、世界に背を向けて個人に内攻するようなところがあったように思う。この点は、「創世記」つまり神が世界をつくったところから聖書がはじまるユダヤ教キリスト教とは明らかに違う。もちろん、その後仏教でも「それなりの」世界観は構築されるのだが、キリスト教などに比べると大幅に出遅れた感はいなめない。

むしろ、初期仏教における世界観は、ヒンドゥー教やインド哲学をルーツとするところが大きい。本書は、仏教に限らず日本人の「世界観」に対する意識の薄さや認識の弱さを指摘するところからはじまり、まずユダヤ教キリスト教的世界観をたっぷり解説する(宗教だけではなく、ハイデッガーなどの哲学・思想面における世界観や、スピノザにおける汎神論的な世界観にも幅広く触れており、これはこれでかなりコンパクトでわかりやすく整理されている)。その後、おもむろにインド哲学における世界観に移るのだが、これがなかなか面白い。特に、これは第1巻の復習にもなるのだが、「基体と属性」に関する議論に興味を惹かれた。

これは要するに「モノ自体」と「モノの属性」を可分とみるかどうか、ということ。たとえば「白い犬」という対象について言えば「犬」が基体、「白い」が属性。ここで「白い」という属性を取り払っても「犬」という基体が存在すると考えるのが(おおざっぱに言うと)実在論、属性がなくて基体だけの存在を否定するのが唯名論、ということになる。インド哲学は大きくこの2つの考え方に分かれるらしい。さらに、唯名論のなかにも、基体は属性と一体となって存在するという考え方と、そもそも基体そのものが実在しないとする考え方があるという。そう、お察しのとおり、仏教はこの「基体そのものが存在しない」という後者の考え方に立つのであって、それが「空」といった独自の思想に結びついていくらしいのである。

いずれにせよ、第1巻に比べると、抽象的な議論が多くて少々読み進むのに手間取った一冊であった。実は、第3巻以降も読み進むべきか、ちょっと迷っているところなのだが、それでも類書に比べるとずっと明快で具体的。しかも、「現代世界における仏教」をこれほど真正面からとらえようとする本を、ほかにあまり見たことがない。やはり、宗教としての仏教をとらえるには、これは得難いシリーズだといえるだろう。民主党の某大物政治家氏が宗教に関連していろいろ発言をされているようだが、少なくともこの本に書いてある程度のことはわかった上でおっしゃっているんでしょうねえ。