自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【743冊目】福井健策『著作権とは何か』

著作権とは何か―文化と創造のゆくえ (集英社新書)

著作権とは何か―文化と創造のゆくえ (集英社新書)

著作権について、基本中の基本を具体例を挙げながらわかりやすく解説した本。

弁護士さんが書いたものだが、具体的な「著作権法」の解説を期待するとやや外れる。むしろ、著作権を構成している芸術や文化、あるいはオリジナリティと模倣といった、いわば創作物全般の本質に切り込み、著作権という権利をそこから眺めるものとなっている。著作者や著作権者の権利をまったく保護しないわけにはいかないが、保護しすぎると、創作にはつきものの模倣を封じてしまい、かえって文化全体をやせ細らせることになる。そのつり合いをどこでとるかが、著作権というものの難しさであるようだ。

皮肉なのは、著作権など存在しない時代のほうが、どうひいき目に見ても、現代より生み出されている作品の質が高いことだ。たとえば、シェイクスピアはネタ元となっている物語や伝承を換骨奪胎し、そこに新たなメッセージを込めてひとつの戯曲として完成させる「模倣の天才」であった。音楽も絵画も、すぐれた先人の作品のモチーフを使ってより高度な作品を生み出し、歴史に残る人類の宝となるケースが少なくない。日本でも、古来より「本歌どり」はすぐれた和歌の詠み手にとっては常道のひとつであった。著名な歌舞伎や浄瑠璃も、完全なオリジナルであることのほうが珍しい。

となると、今存在している著作権の存在とは何ぞや、ということになる。著作権法はその目的として「著作権者の保護」とともに「文化の発展」を謳っているが、むしろ著作権の存在は文化の発展を阻害しているのではないか。中国の海賊版のような「丸ごとコピー」は論外としても、別の作品を生みだすために他者の作品を模倣し、本歌取りすることは、文化の発展の観点からすればむしろ奨励すべきことなのではないか。また、パロディや批評にまつわる著作権の存在に至っては、パロディや批評の本質をそもそも解さない、まったくのナンセンスそのものなのではないか……。さらには、著作権という存在が、現代の創作家たちを過度に「オリジナリティ」に駆り立てているのではないか、とすら思える。すべての芸術は、まず模倣から始まるものだというのに。模倣の限りを尽くしてもなお現れ出てくる原作との相違こそが、その人の持つ本当の「独創」だというのに。