自治体職員の読書ノート

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【740冊目】新村出『新編 南蛮更紗』

著者の新村出氏の名前を「どこかで見た」という方も多いと思う。明治から昭和初期の著名な言語学者であり、キリシタン研究の草分けでもあるが、おそらく見覚えがあるのは、晩年に没頭した辞書編纂の成果である「広辞苑」の背表紙に、編纂者として名前が載っているためであろう。もっとも、本書は辞書とは何の関係もなく、むしろ著者のキリシタン研究をベースにした、かなり研究色のつよい随筆集(この重厚さに、「エッセイ」という軽い名前は似合わない)である。なお、本書が「新編」としているのは、オリジナルの随筆集『南蛮更紗』のうちいくつかの文章と、その後に編まれた『南蛮広記』の中からやはり数編をピックアップしたものであるため。随筆集というにはやや堅い印象なのは、研究色がより強い南蛮広記からの文章が多いためと思われる。

それはともかく、本書が一貫してテーマとしているのは、いわゆる「キリシタン」に関する研究である。ザビエルが日本にキリスト教を伝えてから、信長による庇護をいったんはうけるものの、秀吉による禁教、さらには天草の乱を経て徳川幕府による弾圧と、日本最初のキリスト教徒たちはすさまじい有為転変のなかに置かれていた。その中で、日本史全体からみればわずかな期間に、たくさんの書物が編まれ、とりわけ信仰にかかわる文章は急ピッチで翻訳・翻案された。本書が主題としているのは、おもにこれらキリシタン文献をめぐる考察である。

いろいろ興味深い文献が示され、解釈されているのだが、堅苦しい一方の研究書とは違い、どこかに「南蛮」の香気が漂ってくるのが不思議。特に驚いたのが、「天草切支丹版平家物語」の抜き書き。1592年ころ、耶蘇会の学校における教材用に編纂されたものであるというが、面白いのは、もともと琵琶法師の一人語りであるはずが、なんと対話形式になっているところ。対話といっても物語を知る語り手一人と聞き手一人なのだが、この聞き手がいちいち調子よくあいの手を入れてくるのである。なぜこういう編集になったのかよくわからないが、いずれにせよ珍品といってよい。

ほかにもいろいろ面白い文献や資料が取り上げられているが、もうひとつ印象に残ったところを挙げるとすれば、仏教との奇妙な調和状態の記述であった。少なくともキリスト教伝来当初は、仏教はキリスト教を嫌うことなく、宣教師たちも仏教の形式や寺院の様子を擬することで、布教の便をはかった。「当時仏耶(仏教とキリスト教)両教の交渉には、争闘の歴史の外には、別に一方からの調和の一面も存したことを忘れてはならぬ」と著者は書く。なかなか意味深な指摘ではないだろうか。