自治体職員の読書ノート

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【734冊目】トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』

誕生日の子どもたち (文春文庫)

誕生日の子どもたち (文春文庫)

「誕生日の子どもたち」「感謝祭の客」「クリスマスの思い出」「あるクリスマス」「無頭の鷹」「おじいさんの思い出」の6篇を収める。

いずれも共通しているのは、村上春樹氏の「訳者あとがき」でも指摘されているとおり、少年の「イノセンス=無垢なる部分」が脈打っているということ。単に無邪気というだけではない、傷つきやすい、動揺しやすい(特に魅力的な女の子に)、意地悪な、大人の身勝手さに憤った、実は大人よりも「人生においてもっとも大切なこと」を熟知しているーイノセンスとは、つまりそういうことではないかと思う。ひらたくいえば、大人に倣って「分厚い面の皮」を心身につけてしまう前の時代。自分にもそういう時代があったことを、この小説は痛切なまでに思い出させてくれる。

しかし、なぜカポーティは、大人になってもこれほどまでに「少年の魂」を再現できるのか。どうやら、その秘密は生い立ちにありそうである。カポーティの両親は最初からほとんど破綻していた。あやしげな事業に明け暮れて家庭を顧みない父親。17歳でトルーマンを生み、その後も公然と男漁りを続けた母親。結局トルーマンを育てきれなくなった両親が遺棄同然に彼を預けた母方の親戚の家で、はじめてカポーティは家庭的な親密さに触れる。しかしそれもかりそめのものにすぎないと、彼にはわかっていた。いつ取り上げられるかわからない愛情と親密さ、というモチーフは、本書にも繰り返し現れる。

特にそのあたりが如実にわかるのは、「感謝祭の客」「クリスマスの思い出」「あるクリスマス」の3篇。この3作の舞台は、実はつながっている。それはカポーティ自身の体験した、自伝的な舞台である。とりわけ印象的なのは、小さな少年カポーティの「唯一の友人」が、ちょっと精神的におさない60代のおばあさんである、という点だろう。ミス・スックと呼ばれるこのおばあさんは、家族の中でも孤立し、その点で同じく孤立している「僕」と意気投合し、仲良しになるのだ。しかし、いろいろな事情(寄宿舎に入る、とか)で少年はこの「唯一の友人」と別れざるをえなくなる。先ほども書いた「いつ取り上げられるかわからない愛情と親密さ」に震える少年の心に、幼いカポーティ自身が重なって見える。