自治体職員の読書ノート

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【723〜724冊目】デズモンド・モリス『裸のサル』コンラート・ローレンツ『文明化した人間の八つの大罪』

裸のサル―動物学的人間像 (角川文庫)

裸のサル―動物学的人間像 (角川文庫)

文明化した人間の八つの大罪

文明化した人間の八つの大罪

人間が「動物」の一種であることは、えてして忘れられやすいが、まぎれもない事実である。

しかし、それではほかの動物と人間の違いというのは、何なのか。霊長類の延長線上にあるのか、あるいはどこかで断絶が起き、まったく異質な種となったのか。おおざっぱに言うと、前者の立場に立つのが『裸のサル』、後者に近いと思われるのが『文明化した人間の八つの大罪』である。

『裸のサル』は、人間の行動や社会を、徹頭徹尾、動物学の概念を適用して考える。この種の本は最近に至るまでいろいろ出ているが、本書がおそらく古典となる一冊であろう。細かい学説上の変更はあるだろうが、全体の記述は今でも生きている。女性の胸が尻を、唇が性器を代理的に表示しているという説は、たしか本書が最初ではなかったか。

われわれは無意識のうちに人間を特別扱いしすぎている。自分が動物であり、哺乳類であり、霊長類であること、いわば「裸のサル」であることを、すっかり忘れてしまっている。まあ、そういう自覚がないのも動物のうち、ということなのかもしれないが、それにしても、たまには本書のような本をきっかけに、自分が動物であることを思い出すのもよいかもしれない。

ただ、人間社会のすべてを動物学の延長線上で解釈するのはなかなかキビシイものがある。本書の解釈も、やや勇み足的な部分が時々みられ、ああ、やっぱりこの見方だけでは限界があるのかな、と思わざるを得なかった。人間は動物の一種であるにしても、やはり「ヒト」と「その他の動物」の間には、どこか断絶やねじれのようなものが働いており、それが現在の繁栄と、そして問題を引き起こしていると考えるべきであろう。

その「問題」のほうを8つの大罪として挙げたのが、動物行動学の大家、コンラート・ローレンツの『文明化した人間の八つの大罪』である。言うまでもないことだが、キリスト教の「7つの大罪」が元ネタである。キリスト教のほうは「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」であるが、ローレンツが挙げているのは「人口過剰」「生活空間の荒廃」「人間どうしの競争」「感性の衰減」「遺伝的な頽廃」「伝統の破壊」「教化されやすさ」「核兵器」。前者が個々の人間の内面にかかわるものであるのに対し、後者は文明や社会といったマクロな視点に立っている。

個々の内容についてはあらかた想像がつくことと思うが、問題は、これらが人間の「生物としてのプログラム」に沿って生じたものとは考えていないふうであること。もってまわった言い方だが、要するに、こうした状態を引き起こしているのは、システムの「狂い」であり、何らかの「異常」である、という認識を、ローレンツは示しているのである。

岸田秀は人間を「本能の狂った動物」と書いたが、ローレンツも人間を、生態的なシステムが狂った動物とみているふしがある。もっとも、その反面としてこれだけの文明を築き、繁栄を謳歌しているのだから、必ずしも「異常」とばかりは言い切れないが・・・。それはともかく、こうした見方の延長上にあるのは、「八つの大罪」は矯正可能であるという結論である。生物学上のシステムならいたしかたないが、本来のシステムが狂った帰結であるなら、それはいわば生態学のルール外の話であって、人類の自力でなんとかなる、というわけである。モリスの動物学的人間論が、考えようによってはペシミスティックな決定論につながりうるのに対して、ローレンツの議論は、一見厳しいようで実は一番楽観的であるということになるのかもしれない。