自治体職員の読書ノート

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【713冊目】ライプニッツ『モナドロジー・形而上学叙説』

モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)

モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)

化学の気分に触れたら、次は科学の方法を見てみようと思う。科学の方法には大きく2つあるといわれる。そのうちのひとつが、徹底的に事物を細分化して最小単位を見いだし、その組み合わせで世界を理解するという、いわゆる還元論である。化学式や分子・原子、素粒子と、常に科学の世界の最先端を突き進んでいる方法論である。

もっとも、今回読んだのは17世紀のライプニッツ。「単子論」が名高い(本書には、原題の『モナドロジー』として収録されている)。これは、モナドという最小単位を構想し、その組み合わせによって世界を把握するというもので、還元論の元祖的存在のひとつである。

ただし、そこは17世紀ヨーロッパのこと、ここで展開されているのは単純な物質的還元論ではない。モナドの背後には、それを創造した唯一絶対の「神」が存在するのである。このあたりは、デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」と言いつつ、その背後に神を置き、神を思索の出発点にしたのと似たものを感じる。ライプニッツの思想展開も、やはりモナドによって構成される世界を神の被造物としてとらえることには変わらない。ただ、その創造を単なる恣意的で作為的なものとみるよりも、むしろ一種のシステム的に見ているように思われる。

そのため、本書の議論はモナドという「単位」を前提に進むものの、一方ではその背後に常に神の意図を感じ、推し量る動きがあって、なかなか一筋縄ではいかない。本書で言う「形而上学」とはそのことであり、数理的で物質的な属性は、つねに形而上学というもうひとつの属性と対置される。

「自然のあらゆる特殊的現象は、それを理解する人々によって数学的ないし力学的に説明されることができるけれども、物体の本性の一般的原理、さらにまた力学の一般的原理は幾何学的というよりもむしろ形而上学的であり、また物体的な、すなわち拡がりをもった塊に属するよりもむしろ現象の要因である、ある不可分な形相ないし本性に属するようにますます思われてくる」(「形而上学叙説」)

「物体の錯雑した属性は判明な属性に還元されうるけれども、われわれは判明な属性に二種類あることを知っていなければならない・・・一は数学から導きだされるもの、他は形而上学から導きだされるものである。数学から出てくるものは量、形、位置、位置の変化であり、形而上学から出てくるものは存在、持続、能動、受動、作用の目的、作用者の感覚などである」(「学問的精神について」)

これは物質属性の二元論、というべきか。いずれにせよ、かなりしんどい読書であった。いずれまたチャレンジしたいものである。