自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【691冊目】石橋湛山『石橋湛山評論集』

石橋湛山評論集 (ワイド版岩波文庫)

石橋湛山評論集 (ワイド版岩波文庫)

8月末は「政権選択選挙」だそうである。自民党民主党か、どちらか好きな方をお選びください、ということか。これで日本に政党政治が根付くのか、あるいはこれまでのように官僚と族議員の綱引きで国家が運営されていくのか、それはどちらの党に投票しても変わらないのか、良くわからない。

政党政治になるというのなら、それはそれで結構である。しかし、それを訴える政治家の面々を見渡し、その言葉を聞いていると、政党以前に、国政を託すべき「人物」が見当たらない。思想も見識も、彼らの「マニフェスト」からは一片たりとも感じられない。そこが有権者としては残念であり、日本国民としては痛恨である。

政治家にそれを求めるのは酷という意見もあろう。しかし、戦後、わたしの知る限り一人だけ、思想と見識を兼ね備えたホンモノの「人物」が、わずか2か月ではあるが、我が国の総理大臣になったことがある。それが本書の著者、石橋湛山である。自由民主党第2代総裁、1956年に首相の座に就いたが2ヶ月後に病に倒れ、2か月間の休養を医師に勧められたものの、総理の座にあって「病休」となることをいさぎよしとせず辞任した。もっとも、彼が政界入りを果たしたのは戦後のこと。生え抜きの政治家ではない。むしろ石橋湛山の「本業」は、東洋経済新聞で筆をふるうジャーナリストであった。

本書はその東洋経済新聞に書かれた社説を中心に、石橋湛山の文章をまとめた一冊。その期間は明治末から大正を経て戦時下、そして敗戦後にまで及ぶ。いわば日本の帝国主義的な対外政策が挫折し、内にあっては大正デモクラシーから全体主義へと急転換が起こった激動の時代である。しかし、読んで驚いたのは、そのような時代の中で書かれた文章とは思えないほど、その内容が現代にも通用する普遍性をもっていること。それも、抽象的な哲学思想ならともかく、時々刻々の社会現象を論じて、である。そこが凄い。

石橋湛山の主張は、一貫して内にあっては自由主義、外に対しては「小日本主義」、今風に言えばコンパクトな国家像である。普通選挙の実現はもとより、女性の社会進出を応援し、「明治神宮造営よりノーベル賞に匹敵する明治賞を設けよ」と論じ、帝国議会の常設化を訴え、植民地の放棄を主張し、朝鮮の暴動に理解を示し、ロシアの「過激派政府」(ソ連のこと)を承認せよとまで言う。しかもその主張を、戦時下にあってもほとんど枉げることなく通しているのである。そこに躍如しているものこそ、ずば抜けた「見識」というものであり、筋金入りのリベラリズムであった。今の政治家はもとより、ジャーナリスト、評論家と名乗る連中を見渡しても、時勢に流されず、理非曲直を的確に見極め、時事を論じて100年後の読者をも唸らせる力量の持ち主が、果たしてどれほど存在するだろうか。

なお、本書には石橋湛山流の地方自治論もあって、これがなかなか興味深い。地方分権地方自治の意義にはじまり、市町村を中心に財源の移譲と権限の委譲(国庫補助金の全廃まで論じている)を実現するという、現代であればまあオーソドックスな自治論なのだが、大正14年の議論ということを考えるとこれは相当進んだものである。「地方自治体」という言葉が使われていることにも驚いた(国はいまだに「地方公共団体」だというのに)。憲法地方自治が規定される前に、のちに首相となる人物がこういう主張をしていたということは、自治体関係者なら知っておいてよいように思われる。