【671冊目】ユルゲン・ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』
- 作者: J.ハーバーマス,三島憲一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/01/14
- メディア: 文庫
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ハーバーマスは、いわゆるフランクフルト学派第二世代に属する哲学者。やや理想主義的な傾向はあるが、理性に基づく対話を重視し、自立した個人間のコミュニケーションによって成り立つものとして公共性を考えた思想家……らしい。らしい、というのは、ハーバーマスに関する本は以前少し読んだのだが、難しくてよくわからんかったのだ。本書は、自身の思想を語るというよりは社会時評的な文章を集めたものなのだが、それでもすらすら読めるというわけにはいかず、マーキングしながらちょっとずつ読んできた。
表題と同じ「近代 未完のプロジェクト」は、文化や芸術、美学を通じて「近代」を考察するもの。一般市民が芸術と触れることで美的経験を獲得し、これを実人生の問題に結びつけることが、その市民のもつ認識や欲求を変化させ、世界を見る目を革新していくことにつながる、とハーバーマスは指摘している。こうした「生活世界の視角から専門家の文化が吸収獲得される」という現象は、経済や行政に対しても成り立つのであって、そうしたメカニズムを利用することで、生活世界から経済的・行政的システムを制御しうる、とも書かれている。ただ、そのレベルに至るためには、生活者たる市民自体に一定の素養と知性が求められるのであって、そんなものを大衆化した市民に求めうるのかどうか、という点はちょっと気になった。
他にも本書にはいくつかの論文が収められている。特に多いのはドイツのナショナリズムに関連するものである。中でも、東西ドイツ統一後に書かれた、その統一プロセスを批判する論考が本書後半に集中している。とりわけ、かつてナチス・ドイツにおいて行われた「ドイツの罪」に対する責任論と、共産圏にあった旧東ドイツをめぐる責任論を比較しつつ論じた「過去の消化」に関する論考は、その趣旨を私自身が十分理解できているとはとても思えないが、それでも強い説得力とインパクトがあった。
ハーバーマスによれば、アウシュヴィッツはドイツの歴史に「物凄い連続性の断絶」をもたらしたという。それゆえドイツ人は「その政治的アイデンティティを設定するにあたって、普遍主義的な国家公民の諸原則以外のものに依拠する可能性をつぶしてしまった」。ドイツ人としての伝統は、「いまではただ批判的に、自己批判を通じてのみ」獲得することができる、というのである。これはなかなかに厳しい「歴史の判定」である。そして、まさしくドイツ国家としての政治的アイデンティティを確立しなければならなくなったのが、ほかならぬ東西ドイツ統一という試練であったのだ。
それにしても、ナチス・ドイツを背負ったがための、こうしたドイツ国家の困難性を思うとき、日本はどうだろう、とどうしても考えてしまう。第二次大戦の敗戦国というだけで日本とドイツを安易に比べるのは好きではないのだが……。しかし気になって仕方がないのは、幸いにして日本はドイツのような国家分断の憂き目にこそあわなかったが、しかしそのために、統一時のドイツが体験したような強烈なナショナリズムと、それに突き付けられる「過去の消化」の問題を体験せずに済んでしまったのかもしれないという点である。今の日本では、ナショナリズムも「過去の消化」の問題も、漠然としていてひどくなまぬるい。それはひょっとすると、日本にとっての幸福ではなく、不幸なのかもしれない。