【669冊目】松尾尊よし『大正デモクラシーの群像』
- 作者: 松尾尊兌
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1990/09/14
- メディア: 新書
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※「よし」は「兌」の「口」が「ム」
本書で取り上げられているのは、夏目漱石、三浦銕太郎、石橋湛山、美濃部達吉、吉野作造、佐々木惣一、山本宣治。他に、中江兆民や幸徳秋水の系譜を継ぐ人々について記した「明治末期のルソー」、大正デモクラシーと戦後民主主義を並べ論じた「大正デモクラシーと現代」がある。
さまざまなところで発表された論文や講演録などを収めたものであるため、ちょっと不思議でアンバランスな人選だが、それでも大きな共通点がひとつある。それは、彼らが大なり小なり、当時の政府に対して敢然と「モノ申して」きた人々である、という点。ただ、漱石だけはちょっと違う(ただ、漱石の「政治思想」については、おそらくこれから研究されるべき分野であろう。大正デモクラシーと漱石という取り合わせは、調べてみるといろいろ面白そうである)。
当時、知識人たちの議論が集中していたのは実は外交問題であった。日露戦争をはじめ、朝鮮・台湾に対する植民地政策、満州への拡大政策など、大正デモクラシーの時代とは、外交面では帝国主義一辺倒、日中戦争への暗いレールが敷かれはじめた時代でもあった。「内には立憲主義、外へは帝国主義」の二面性が、当時の日本という国家の姿だった。
知識人やジャーナリズムの多くは植民地支配や政府の拡大政策に同調し、あおりたて、民衆もこれに乗った。そのありようにさまざまな方向から警鐘を鳴らし続けたのが、本書に取り上げられた人々、特に三浦、石橋、美濃部、佐々木らであった。特に三浦や石橋らが東洋経済新報において唱えた「小日本主義」の主張は、帝国主義的外交路線の末路を的確に見通したものとして一読に値する。惜しむらくは、彼らの言葉の真価に気づき、それを広げるジャーナリズムや学会が存在せず、小さな声にとどまってしまったこと。そのうちに軍部独裁の波の中で、まっとうな声がことごとくかき消されてしまったことであろう。
では、「大正デモクラシー」とは、結局は暗黒の昭和史の前におかれた無力なあだ花だったのか。否、そうとばかりは言い切れないと思う。本書や前に読んだ『大正デモクラシー』で指摘されていたとおり、いろいろ問題はあったにせよ、当時の言論や社会活動のなかで普通選挙や男女同権、労働福祉の主張がなされていたからこそ、戦後の民主的な政治システムが(不十分な点は多いにせよ)これほどの定着をみたのではないか。言い換えれば、大正デモクラシーの成果が、戦後民主主義を準備したとも考えられる。
なお戦後憲法について本書では、いわゆる「押し付け憲法論」について次のように述べている。
「自主憲法制定論者は、とてもあのときGHQ草案に反対する自由はなかったといいたいようですが、そんなことはありません。反対しようと思えば、いくらでもできた。たとえば、戦前の代表的天皇機関説論者美濃部達吉と佐々木惣一は双方とも新憲法に反対しています。佐々木は貴族院で反対論を演説し、美濃部は枢密院でただ一人採決に際し否決の意思を示しました。二人の反対理由は少しちがいますが、公然と反対したことは事実です。そのため二人がGHQから迫害を受けたことはまったくありません。
もし一国の憲法が非自主的に決定されることに反対なら、その意思を公然と表明して、新憲法に反対すべきですし、またそれは可能だったのです…(中略)…まったく新憲法に反対しなかった保守二党の後継者たるいまの自民党が、ひとたび占領が解除されると、新憲法は押し付けだ、自主憲法を制定せよというのは無責任も甚だしい。」
佐々木惣一や美濃部達吉(本書で取り上げられている他の人々も)は、時節や権力といったものに絶対に迎合せず、正しいと信じることは正しいとして主張を貫く「スジガネ」の持ち主であった。そうした人々の存在こそが、あるいは大正デモクラシーの真の遺産であり、戦後民主主義を本当の意味で育んできたのかもしれない。