自治体職員の読書ノート

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ロバート・ウェストール「かかし」「海辺の王国」「水深五尋」(#637〜#639)

かかし

かかし

海辺の王国

海辺の王国

水深五尋

水深五尋

いやー、まいった。面白かった。

ウェストールの名前は恥ずかしながら、朝日新聞の書評で初めて知った。評者が横尾忠則氏だったので「おっ」と思って目が行ったのが「水深五尋」。書評に惹かれて本を読むことはめったにないのだが、これはすごく面白そうに思えた。しかも調べたら、あの宮崎駿が敬愛する作家だという。これは読まなきゃならん、と図書館に走った。ちなみに、「水深五尋」は表紙と挿絵を宮崎駿が描いている。

最初に読んだのは「かかし」。軍人だったかっこいい父親が亡くなり、母親が再婚したのは、売れっ子だが太り気味で冴えない画家のジョー。義理の父に対する嫌悪を隠そうとしないサイモンは、ジョーにぞっこんの母親にも苛立ち、「パパ」の存在が忘れられていることが哀しくてならない。サイモンの嫌悪はやがて強烈な憎悪に変わり、それが呪われた水車小屋に眠る邪悪な存在を呼び起こす……。

スティーブン・キングを思わせるホラー風味だが、少年の心の微妙なひだの描き方はキングよりうまいかもしれない。「邪悪な存在」が徐々に近づいてくるかかし、というところも不気味。サイモンの少年ならではの容赦なくどす黒い悪意は、見方によっては幼さの裏返しなのだが、それが外部に映し出されるというところ、しかもそれが安易な「化け物」として登場したりしないところが、この小説をすごく上質な恐怖小説にしている。やはり、怖さの対象がはっきり見えてしまっては、すでに怖くなんかないのである。

「海辺の王国」は、空襲で家族と離れ離れになってしまった少年ハリーが、海岸沿いに歩き続け、その中で出会いと別れを繰り返していく話。一種の冒険譚なのだが、ハリーが出会う人々がとにかく人間性豊かであったかく、個性的。そうしたいろんな「大人たち」に出会っていく中でハリーも成長していくのだが、何よりハリーを大人にするのはそのラスト。自分の「旅」のちっぽけさ、自分自身の小ささを知ることで、少年は大人になっていくのだな、と思わせられる。

「水深五尋」も「海辺の王国」と同じく戦時下のイギリスが舞台で、戦争が大きな影を落としている。遊び半分のスパイ探しがどんどんおおごとになっていく中、主人公の少年チャスが、やはりこれもいろんな人々との出会いを通じて成長していく。ただ、こちらは孤独な旅ではなく、仲間たちと一緒の冒険で、その分だけ話に膨らみと広がり、わくわく感が出ている。そしてラスト、チャスはある一つの決断をするのだが、この決断をきっかけに、チャスもまた「少年」から「大人」への脱皮を果たしたのだと思う。

児童文学といわれるジャンルが全部そうだとは思わないが、少なくともこの3篇に関しては、いずれも「子供が大人になる物語」であるという点が共通している。しかし、思えばそもそも少年とは(少女はしらないが)、遊びや馬鹿ふざけばかりしているようでも、実はその中で懸命にもがき、悩み、そしてどこかで「ほろ苦い脱皮」を経て大人になっていくものなのだと思う。その「ほろ苦い脱皮」とは、「かかし」のサイモンでいえば義理の父との和解であり、「海辺の王国」のハリーでは冒険を経ての家族との再会であり、「水深五尋」ではスパイの正体を前にしてのチャスの決断であろう。

そして、こういう本を読むことで、すっかり大人になってしまったわれわれも、自分がかつて経験した「ほろ苦い脱皮」の日を思い出すのかもしれない。世俗にまみれ、その汚れにも鈍感になってしまった自分も、かつてはウェストールが描くような少年であったことを。少なくとも私自身は、自分にも少年だった頃があったことを、この3冊を読みながら久しぶりに思い出した。