自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【600冊目】井上有一「東京大空襲」【601冊目】海上雅臣「井上有一」【602冊目】井上有一「日々の絶筆」

井上有一―書は万人の芸術である (ミネルヴァ日本評伝選)

井上有一―書は万人の芸術である (ミネルヴァ日本評伝選)

「東京大空襲」

「東京大空襲」

新編 日々の絶筆 (平凡社ライブラリー)

新編 日々の絶筆 (平凡社ライブラリー)

初めて目にした井上有一の作品は、「噫横川国民学校」だった。

東京大空襲のありさまを書いた「書」である。見たのも展覧会ではなく、東京大空襲をテーマにした資料展のようなものだったと思う。ちなみに、それは残念ながら本物ではなくレプリカだった。

それでも、この作品がただごとではないのは一目でわかった。文字がうねり、悶え、叫び、業火の中で身をよじっている。戦争や空襲を描いた文章や絵にもいろいろあるが、これほどすさまじいものは見たことがなかった。空襲の最中、地上でいったい何が起きていたのか、その「真実」(「事実」ではなく)を、この叩きつけるような「書」以上に伝えてくれるものを見たことはない。

いったいこの「井上有一」とは何者か。調べてみたらやはりタダモノではなかった。現代書道界の巨人であり、いわゆる伝統的な書道界に早くから背を向け、「前衛」の世界からさえ身を遠ざけつつ、斬新で強烈な作品を多く残してきた男であった。

特に、一文字から二文字の漢字を箒のような筆で巨大な紙に書くというスタイルの作品が多く、どれも字でありながら字を超えた渾身の作品ばかりである。サンパウロビエンナーレ展に出品した「愚徹」など、巨大な「愚徹」そのもののカタマリがぬっとそびえているようで、異様な存在感と迫力でこちらが押しつぶされそうになる。

面白いのは、これは別の場面、別の作品での話だが、紙をはみ出して下に敷いていた新聞紙にまで文字がはみ出してしまったのを、そのまま作品として出品してしまったこと。そのことを井上有一はこう書く。「限定された紙面という枠を枠と意識しない、枠の中で枠にとらわれない、自由とは元来そういうものではないでしょうか・・・(略)・・・ですから私の作品「花」を御覧になって、その下部がはみ出したように見えるとすれば、この場合の有一はまだ枠にとらわれているといえるし、はみ出したように見えず当りまえに見えれば相当なもんやということになるのではないか・・・」(日々の絶筆)。

ちなみにこの「日々の絶筆」であるが、文字通り書の世界の最前線で格闘し続けた井上有一の、「書」を通じた創造や自由、伝統などについての考え方が超濃縮で詰まっている。その徹底した厳しさには読んでいてたじろぎそうになるが、書の世界以外にも通底する創作の世界における真理のようなものが的確に暴かれた一冊である。

こう書くと、井上有一という人はさぞ浮世離れしたゲイジュツカであったのかと思われそうだが、実は彼は生涯を小・中学校の教師として過ごした人であった。戦中は横川国民学校の教師として学童疎開を引率し、上級生を連れて帰京した際には空襲に遭って九死に一生を得た(その時の体験が後日「噫横川国民学校」に結実したわけである)。なんとドリフターズいかりや長介もその頃の教え子であったらしい。

生活の糧をそこで得る一方、昼間の時間を学校で過ごした井上有一は、夜(あるいは朝)しか「書」に打ち込む時間はなかったという。「日々の絶筆」には、そんな彼の強い焦燥がうかがえる。

しかし、その後彼が糸井重里との対談で語っているように、実はそのような限られた時間での創作であったからこそ、かえって渾身の作品ができたのかもしれない。「忙しくても何とか時間を見つけてやるのが大事だと思うんですな」と、井上有一自身も言っている。確かにそういうものかもしれない。

「書」にはこれまであまり興味がなく、空襲展で「噫横川国民学校」を見なければ、井上有一の名すら知らなかったかもしれない。しかし、色彩豊かな絵ならともかく、白と黒だけ、しかも「文字」を書いてこれほどのインパクトを人に与えうるものであるとは、衝撃的としかいいようがない。また、その精神は先ほども書いたように、書の世界を超えて芸術全般、人生全般に深く深く通じるものがある。

ちなみに井上有一が好んでいたらしい書は、良寛白隠、大燈国師空海など。その断片は「日々の絶筆」にも載っているが、たしかに凄い。これは是非、続けて追って行きたいものだ。