自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【555冊目】サラ・グルーエン「サーカス象に水を」

サーカス象に水を

サーカス象に水を

3冊セットになる本が見当たらず、単発での紹介。

主人公ジェイコブは獣医学を専攻する大学生。しかし卒業試験直前に両親を失い、茫然自失のまま試験を放棄して逃走。飛び乗った列車はなんと移動サーカスの列車であった。行き場のないジェイコブは「史上最大のベンジーニ・ブラザーズ・サーカス」で獣医として働くことになるが……。

団員を走行中の列車から放り投げる団長、サディストで二重人格の団員、パフォーマーと裏方の露骨な差別など、サーカス団の裏事情の描写に迫力があり、小説にものすごい厚みを与えている。やめればいいじゃないか、とも思えるが、大恐慌下のアメリカを舞台としているだけに、団員は劣悪な境遇でも職を失うことをおそれてサーカスを離れることができない。サーカス団自体も弱肉強食の時代であり、その中でハイエナのように潰れたサーカス団から団員や動物を吸収してきたのがこの「ベンジーニ・サーカス」なのだ。

華やかな表舞台とは対照的な、どろどろした陰鬱な舞台裏。しかし、だからこそその中で、ジェイコブや心ある人々の活躍が輝いて見える。決して状況に流されず、必死で正義を貫こうとするジェイコブの英雄的なふるまいが、この小説にひとつの芯を通している。それと共鳴するのが、サーカスの無垢な動物たち。特に象のロージーが素晴らしく、なかなか泣かせる。

また、本書は若き日のジェイコブと、70年後、93歳(あるいは90歳)のジェイコブの二つの時代をまたいで進む。つまり、20代のジェイコブと90代のジェイコブが交互に出てくるのだが、実はこの構造自体がひとつの伏線になっている。正直、途中では90代のジェイコブを登場させる意味が分からず、いいところで現代に戻ってくるのがちょっとうざったいと感じていたのだが、いやいや、やはりこれは必要な仕掛けだったのだ。そのことが、ラストですっと腑に落ちた。この小説は、93歳のジェイコブがいて初めて完結するのである。

とにかく、小説としての濃度と厚みが群を抜いている一冊であり、読み終わってから「小説を読んだな〜」という充実感が襲ってきたのが自分でも意外だった。著者の作品で他に邦訳があるのかわからないが、今後が楽しみな作家さんである。