自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【523冊目】夏目漱石「私の個人主義」

「道楽と職業」「現代日本の開化」「中味と形式」「文芸と道徳」「私の個人主義」とそれぞれ題された、漱石が行った講演5つを収めた一冊。

いずれもとにかくうまい講演である。ユーモアにあふれ、洒脱軽妙、しかし講演としての型は外さず、さりげない導入と一見とりとめのない展開から、気がつくとものすごく重要なテーマに到達している。しかも難解な語句や概念はいっさい使わず、具体的な日常の言葉だけを駆使して。本書の内容が実際の漱石の語り口をどの程度再現しているのかはわからないが、実際このとおりなのだとしたら、相当の「話芸」である。

この中で以前読んだことがあったのは「現代日本の開化」であった。漱石が明治日本の近代化を外発的で「皮相上滑り」と断じた部分は記憶に残っていたが、今回読み返してみて気づいたのは、だからどうすべきだ、という対案がまったく提示されていない点であった。漱石はあえて対案を提示しなかったのだ。日本の近代化が内発的たりえなかったのは諸事情に照らしてやむをえないことであり、日本はただその不完全性を自覚し、抱えていかねばならない。そんな一種の諦念のようなものが、実はこの有名な講演の結論だったのだ。そしてもうひとつ、そんな日本が戦争に勝ったからと一等国づらをしていることの皮肉が、最後にちらりと示されている。それは同じく本書に収められている「私の個人主義」における極度の国家主義への警告と軌を一にしているように思われる。またそれは、三四郎の冒頭、列車の中での会話にも通ずるが、これらはいずれも、戦勝ムードに沸き立つ日本への漱石流の警鐘であったのかもしれない(そして漱石の危惧は、敗戦というかたちで的中するのであるが)。

その「私の個人主義」であるが、これは実に痛切な講演であった。漱石自身の「この世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも検討が付かない」という苦悩、外来の思想や主張をわがことのように語り、褒める日本人への嫌悪、自らもその中で英文学者として在ることの矛盾。そして、その中で借り物の概念を振り棄てて「自力で概念を作り上げる」と決意し、ついに「自己本位」という光明を見出すまでの軌跡が、ここでは縷々述べられている。ここでは漱石が自らの内面で必死にもがき苦しんでいるありようが伝わってくる。だからこそ、この講演は痛切なのである。また、この苦悩は、漱石という一個人の苦悩であると同時に、それこそ「外発的な近代化」を経験した明治以降現代に至るまでの日本人、とりわけ知識人の共通の苦悩であり、乗り越えるべきテーマである。そして、その苦悩の期間こそが文豪漱石を育てたのであり、だからこそ、漱石の小説が示す近代人、とりわけ日本の知識人への課題が、今なお共感をもって読まれるのであろう。