自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【489冊目】内田樹「疲れすぎて眠れぬ夜のために」

疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

私を含め、現代の日本人の多くが、程度の差はあれど無意識のうちに囚われている固定観念がある。キャリアアップ志向、グローバリズム、「勝ち組・負け組」といったものから、「個性的になる」「ほんとうの自分を見つける」「みんなが欲しがるものを欲しがる」など、いずれもメディアで喧伝され、どこかおかしいとは感じつつも、あおられるようにしてみんなが駆り立てられ、そのために余計な苦労を背負い、ストレスを感じている。本書が読者に語りかけるのは、端的に言ってしまえば「そんなものに囚われるのは、もうやめようよ」という一点である。

本書が面白いのは、胸のすくような結論もさることながら、そこまで到達するまでの「論理の運び」の見事さである。視野を広げ、ぐるりと裏返し、逆向きに歩いたり宙返りをしたり、そのアクロバシーは鮮やかとしかいいようがない。比喩も巧みである。たとえば、現代のわれわれが陥っている視野の狭さを、著者はこう表現する。

「時間的な比喩を使って言えば、現代日本人は、『午後五時一一分から一二分の間に棲む種族』のようなものだと言えるでしょう。そこでは人々が『午後五時一一分〇一秒と〇二秒の間の黄昏の色調の差異』というようなものを言い立てるためにエネルギーの大半を注いでいます」

実にわかりやすい。しかも痛烈である。ちなみに、はてなダイアリーでたくさんブックマークされている記事の多くは、たいていこの種の論説である。

主張の内容も逐一紹介したいくらいであるが、ひとつだけ、最も印象に残ったところを挙げるとすれば、戦後民主主義についての文章である。これも、下手な解説より著者の明晰な文章をそのまま引用させていただく。

「みんなが忘れているのは、戦後の奇跡的復興の事業をまず担ったのは、漱石が日本の未来を託したあの『坊っちゃん』や『三四郎』の世代だということです。この人たちは日清日露戦争と二つの世界大戦を生き延び、大恐慌辛亥革命ロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度成長の時代まで生きたのです。
 そういう波瀾万丈の時代の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのない世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした『幻想』、それが、『戦後民主主義』だとぼくは思っています。」

いかがだろうか。私はまず冒頭の「坊っちゃんや三四郎の世代が戦後民主主義の担い手となった」という時代感覚がなかった。そういう視角から戦後の時代を眺めたこともなかった。さらに、「このリアリストたちが幻想と分かっていてあえて根づかせようとした」という、この論理の「ひねり」の鮮やかさがおわかりだろうか。「確信犯的に」というところがポイントであろう。戦後民主主義を「理想論」「幻想」として批難する言説は、この一言で一網打尽となっているのである。そして、これは確かにそうなのだろうと思う。最近亡くなったばかりの加藤周一氏もそうであろうが、ある面ではきわめて怜悧で明晰な頭脳の持ち主である戦後のリベラル系論客の多くがなぜ戦後民主主義をこれだけ擁護しようとしたか、私はこの文章を読んで初めてそのあたりがすとんと腑に落ちた気がする。