自治体職員の読書ノート

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【420冊目】中江兆民「三酔人経綸問答」

三酔人経綸問答 (岩波文庫)

三酔人経綸問答 (岩波文庫)

民権主義者で理想主義的な「洋学紳士」は、徹底した民主主義の導入と軍備の撤廃を訴え、反対に「豪傑君」は、膨張主義的な国家論をもち、軍備の充実をもって大陸に侵略すべきと説く。彼らを迎えるかたちとなった「南海先生」は現実主義的で、日本とヨーロッパの現実を踏まえた上で、洋学紳士の説く理想主義よりは漸進的な進歩を信じ、豪傑君の説く勇ましい侵略主義的な国家主義にも疑念を呈する。

本書はこれら三人が、酒を片手に語り合うという形を取っている。語り合うと言っても、最初に「洋学紳士」が自分の見解を滔々と述べ、次に豪傑君がやはり自らの信ずるところをたっぷりと語り、最後に南海先生が、現実主義的な立場から二人を諌めるように語るという体裁となっている。

おそらくこの三者、特に「洋学紳士」と「豪傑君」の意見は、自由民権運動の高まりと、一方で膨張主義的な国家論が入り混じり、それぞれに沸騰していた明治時代の空気を集約的に表しているのだと思う。しかし、本書のユニークさは、両極端の議論のうちいずれかを主張するのではなく、間に「南海先生」といういわば思想的なクッションをおくことで、議論を相対化し、客観視しているところにあるように感じる。

それにしても、本書で披瀝されている議論を後の世から見ると、現代に至るまでの政治や思想の系譜は、まさにこの三者の問答の中にすべて納まってしまっていることに驚かされる。日清・日露から太平洋戦争に至る流れはまさしく豪傑君の思想を地で行くものであるし、戦後憲法の平和主義やリベラル系の思想の流れは、まさに洋学紳士の理想を体現するものとなっている。

それにしても、南海先生はどこに行ってしまったのだろうか。豪傑君の思想が悲惨な敗戦に結びつき、洋学紳士の思想がいつになっても浮世離れしているのは、南海先生の客観的で現実主義的な視点が、いずれにも欠けていたためではあるまいか。そんなことを思わざるを得ない、非常に示唆的な一冊であった。