自治体職員の読書ノート

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【363冊目】大原富枝「婉という女・正妻」

婉という女・正妻 (講談社文芸文庫)

婉という女・正妻 (講談社文芸文庫)

江戸時代を舞台に、「婉という女」「正妻」「日陰の姉妹」の3篇が収められている。

「婉という女」では婉、「正妻」では市、「日陰の姉妹」では寛と将という女性に焦点をあてている。特に前2篇では、そのほぼ一生が綴られているのだが、この人生がなかなか普通ではない。

婉の場合、父で土佐藩執政の野中良継が失脚したため、死後、彼女を含む一族は一軒の家屋に閉じ込められ、幽囚の身の上となる。4歳で囚われた婉は、その後40年にわたってその家を出ることができず、赦免を得て開放された時には、40過ぎにもかかわらず当然独身で、男も知らないという状態である。10代で嫁入りが普通であった当時、これはきわめて奇異なことであり、それがために彼女は周囲の好奇の目をさんざんにひいてしまう。その中で、周囲の視線に耐えながら生きていこうとする婉の力強い心情が、この「婉という女」全体を太く貫いている。これもまたひとつの人生といってしまえばそれまでかもしれないが、運命と言うものの残酷さと、それに押し流されつつ懸命に踏ん張ろうとする一人の女性の強さとけなげさを、この小説は見事に描き切っている。

「正妻」の市はその良継の妻であり、したがってこれは「婉という女」の前日談にあたる。この市という女性の抱える欠落もまた大きい。彼女は良継と祖母を同じくする従姉妹なのだが、婚姻後、「姓を同じくする者は結ばれてはならない」という儒教の教えのため、良継は市と交わることを拒む。要するにセックスレスなのだが、なんとこれが20年も続く。しかもその間、良継は愛妾に次々と子を産ませているのである。この市の絶望的な心情もまた、なんとも語りつくせないものがある。

婉や市の人生を特異なものと切って捨てることは簡単だろう。しかし、本書が読み手の心を深く打つのは、こうした一方的で理不尽な宿命に見舞われ、翻弄される女性というものが、実は現代にまで続く女性のひとつのパターンであり、モチーフであるためであるように思う。いわば女性にとって「良くあること」のひとつの極端な類型を本書は骨太な描写と悲痛な哀切をもって描いているといえるのではなかろうか。