自治体職員の読書ノート

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【353冊目】篠原一「市民の政治学」

市民の政治学―討議デモクラシーとは何か (岩波新書)

市民の政治学―討議デモクラシーとは何か (岩波新書)

「市民」というターム自体にうさんくささを感じる今日このごろなのであるが、それでいてなんとなく割り切れないというか、整理しきれないものを感じている。その中で、本書は「討議デモクラシー」という副題になんとなく興味が湧き、手に取ってみた。

著者は現代を「第二の近代」と定義し、そこにおける「市民社会」の状況を、さまざまな市民社会論(特にハーバーマスのものが充実している)、一方で台頭しつつあるポピュリズムナショナリズムの動向などを見つつ論じ、その行き詰まりを打破するひとつの方向性として、「討議デモクラシー」という発想を提案する。

共同体の解体や個人の原子化が問題で、ポピュリズムナショナリズムを育む培養土であるとするのは確かにそうであろう。しかし、そもそもこうした現象を招くに至った一因は個人の自立を過度に称揚し、国家や地域コミュニティはおろか家族からも切り離された「個人」をもてはやした「近代市民社会論」そのものであると思うのだが、そういった振り返りは本書ではみられない。また、本書における「市民」概念の措定の仕方は、日本人の手による大半の類書と同じく、西洋における近代化プロセスの中で生まれてきたものを直輸入し、日本の土壌にそのまま植えつけようという粗雑で無自覚な「近代西洋思想絶対主義」レベルにすぎず、その点ではなんら得るものはなかった。

しかし、討議デモクラシーという手法そのものは面白い。これにはいくつかの方法があるのだが、たとえば母集団(ここでは一定地域の住民)の構成にできるだけ近い構成の人々をサンプリングし、一定の期間であるテーマを討議させ、投票させる。その結果、単に投票させるのとは異なった結果が出るという。

この手法の面白いところは、現在の議会制民主主義を補完するどころか、やり方によってはむしろ代替してしまう可能性があるところである。つまり、議会を「選挙民の代表が議論と投票を通じてものごとを決定する場」であるとすれば、的確なサンプリングによる母集団比例的代表(少なくとも自営業者がほとんどを占める現在の地方議会よりよほど母集団を反映している)が、同じく議論を経て投票する(したがって単純な住民投票とは異なる)ことによって意思決定が行われるのであるから、これは今の議会の体たらくを考えれば、よほど実質的に母集団である地域住民を「代表」しうることになる。むしろ古代ギリシアのポリスにおける、討議を経た直接民主制に近いのはこちらかもしれない。