自治体職員の読書ノート

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【352冊目】H.P.ラヴクラフト「ラヴクラフト全集1」

ラヴクラフト全集 (1) (創元推理文庫 (523‐1))

ラヴクラフト全集 (1) (創元推理文庫 (523‐1))

ラヴクラフトを読むのはずいぶん久しぶり。はまっていたのは中学生の頃だから、20年近く経っている計算になる。特にこの1巻は思い出深い。読んでいる時は大して怖くなかったのに、寝る前に明かりを消したら急に恐怖が襲ってきて眠れなくなったという、忘れがたい本である。

本書には、「インスマウスの影」「壁のなかの鼠」「死体安置所にて」「闇に囁くもの」の4篇が収められている。いずれもポーやホフマンの系譜を継ぐゴシックロマン小説のスタイルなのだが、内容はきわめて独創的。何しろ、これは本書に限らず彼の作品のほとんどすべてがそうなのだが、ラヴクラフトはいわゆる「クトゥルフ神話」という一種の神話体系をみずから創造し、その内容を小説のかたちで綴っているのである(「死体安置所にて」だけはちょっと違うが)。

クトゥルフ神話」では、人類の発祥以前から、地球はその外側から来た「旧支配者」と呼ばれる存在の支配下にあったとされる。現在はその支配は失われているが、彼らは人類からその支配権を奪い返そうとしているのである。なんだかSFチックな設定だが、ラヴクラフトはこれをSFではなくホラーにしてみせた。そして、おぞましい「旧支配者」たちとそのしもべたちの暗躍をひたすら書き続けたのだのだ。

ほとんどの作品で「旧支配者」側の存在はなかなか姿を現さない。その存在は、最初は噂話や失踪した友人からの手紙などで間接的に示され、不気味な遺留品、不快な臭気、恐ろしい物音などによってじわじわと迫り、ラスト近くになってやっとその恐るべき姿が登場する(最後まで出てこない場合もある)。もっとも、こうした書き方自体は古典的なゴシックロマンの手法であり、取り立てて珍しくもない。問題は、これによってラヴクラフトが暗示した「恐怖の所在」である。

現代に至るまで、多くのホラー小説が描いてきた恐怖とは、ほとんどが幽霊や妖怪、あるいは怨念などの人間の情、最近では「人間そのもの」といったものである。しかし、ラヴクラフトの示す「恐怖の所在」はそれらとまったく異質な、圧倒的な力と無慈悲さ、人類への原始的な悪意をもった存在である。なにしろ相手は「神」なのだ。そして、思うのだが、こうした圧倒的な存在への恐怖は、人類にとっては原始時代から刷り込まれてきた本源的なものであって、それだけに無意識の奥底から恐れを感じてしまうのではなかろうか。

ラヴクラフトの恐怖は、だから他のホラー作家の恐怖とはちょっと毛色が違うのである。それは脳ではなく腹の中、胃袋の底をざらりと触られるような怖さなのだ。そして、そんなホラーを書いた作家は(ラヴクラフトの信奉者たちを除いて)ほとんどいない。彼が「20世紀最大の怪奇小説作家」と呼ばれるゆえんであろう。