自治体職員の読書ノート

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【345冊目】森鴎外「山椒大夫・高瀬舟」

山椒大夫・高瀬舟 他四編 (岩波文庫 緑 5-7)

山椒大夫・高瀬舟 他四編 (岩波文庫 緑 5-7)

表題作2篇のほか「魚玄機」「じいさんばあさん」「最後の一句」「寒山拾得」を収める。いずれも鴎外後期の作である。

時代物ばかりだが、さまざまな故事をひいているものが多く、物語自体が鴎外のオリジナルというわけではない。しかし、それならなぜ原典ではなく、鴎外の筆を通した小説ばかりが現代に残っているのか。読みながらそんなことを考えた。

思うにそれは、あまたある故事のうちこれらを鴎外が選んだことと無関係ではあるまい。そして、選んだ時の鴎外の眼は、そこに何を見ていたか。おそらく鴎外の眼は、その故事そのものが語り継がれてきた文脈とは異なるところ、単なる逸話と思える中に、思いがけなくも別の、もっと広く深いところに通じる地下水脈をとらえていたのではないかと思う。その「もっと広く深いところ」への回路を、鴎外はこれらの故事を小説として語りなおすことによってわれわれに開いてくれたのではないか。だからわれわれは、この小説がただの昔話の再話ではないことを認識できるし、小説の奥底で鴎外が示してくれた「何か」の存在を感じることができるのだろう。

そして、口語体で綴られる、一切の贅肉のない文章の凄みと、その奥から伝わってくるやわらかな深みのコントラスト。特に「高瀬舟」のラスト、夜の闇に高瀬舟が静かに消えていくシーンは、何度読んでもため息がでる。それに、「最後の一句」で、父の助命嘆願のため奉行所を訪れた娘いちが、白洲で奉行に投げかける一言。その一言ですべてが反転する、鮮やかな瞬間。「じいさんばあさん」も、これまであまり注意して読んだことがなかったのだが、実に滋味深い。「寒山拾得」は、いつ読んでも放り出されたような異様な印象である。意味がどうとかいうより、最後の寒山と拾得の哄笑が耳から離れない。